父は、自宅からがんセンターに戻って程なく鼻からの酸素吸入を欠かせないようになった。そして、同時に、無口になった
トイレに行くのもゆっくりと休み休みだったのが、次第に立てなくなり、ベッドの上に体を起こすのさえ辛そうだった。話をすると呼吸が荒くなる。更に進むと、物を考えるだけで呼吸が苦しくなるようだった。
脳は大量に酸素を消費すると聞いていたが、父をみていて、それがほんとうによくわかった。
研究者で、思考するのが商売のような人なのに、どんなに辛かったことだろう。
私がしゃべりかける声、それを聞くだけで父の脳は働き始め、呼吸が苦しくなる。そんな時父は、もうやめなさい、苦しいのだ、と目で合図する。
それに気づいてから、私はお喋りもしないで、ただ父の傍に座っていることにした。
そんな私を見て、「帰れ」。
子供たちもいるのだから、もう帰れ。お前はここにいても何もならんぞ、と目で訴える。
一宮の私の家から病院まで約1時間と少し。 それがとても遠く感じた。
あんな状態になっても、父は死と戦い続けた。諦めることを拒み、細く細く細く、命を燃やし続けた。
父は大変な精神力を持っていたと、改めて知った。
がんセンターに再入院してから1ヶ月。別れの時が近づいていた。
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