一宮スポーツ文化センター3階小ホールにて
22年前の映画だということに、激しい焦燥を感じる。
この度の事故を予言するかのような内容。
しかし、事故から9ヶ月、この国は変わろうとしていない。
人々は、もう忘れようとしている。
2011年12月20日火曜日
2011年8月21日日曜日
2011年5月19日木曜日
映画 「わたしを離さないで」
静かに生命を考える。
なぜ逃げないの?
どうして運命を受けいれるの?
疑問は胸に渦巻くけれど、どこかで納得している。
考えてみよう。私たちの国では戦時に生まれた子供たちは兵隊さんになって散ることを積極的に受け入れようとしたではないか。
かの国では胸に爆弾を抱えた若者たちがジハードを信じて自爆するではないか。
提供のためにこの世に生を受けたのだ、と当たり前のように教えられれば、親を持たぬ彼らには他に道は見えないのかもしれない。
目的のため、人工的に作り出された生命は、ヒトとして劣る存在なのか?
作者は囁くように彼らの苦しみを綴る。
命とは?
存在するだけで価値のあるものではないのか。
ある命が、別のある命に奉仕するために存在していいのか、と。
映画の後で原作を読んだ。
2度。
白い風景が彼方まで広がっていた。
なぜ逃げないの?
どうして運命を受けいれるの?
疑問は胸に渦巻くけれど、どこかで納得している。
考えてみよう。私たちの国では戦時に生まれた子供たちは兵隊さんになって散ることを積極的に受け入れようとしたではないか。
かの国では胸に爆弾を抱えた若者たちがジハードを信じて自爆するではないか。
提供のためにこの世に生を受けたのだ、と当たり前のように教えられれば、親を持たぬ彼らには他に道は見えないのかもしれない。
目的のため、人工的に作り出された生命は、ヒトとして劣る存在なのか?
作者は囁くように彼らの苦しみを綴る。
命とは?
存在するだけで価値のあるものではないのか。
ある命が、別のある命に奉仕するために存在していいのか、と。
映画の後で原作を読んだ。
2度。
白い風景が彼方まで広がっていた。
2010年10月1日金曜日
映画 「ペルシャ猫をだれも知らない」
9月30日(木)
仕事の合間に名古屋シネマテークへ走る!
ランチも食べる暇なし。空腹を抱え、滑り込みで劇場にセーフ。
よい映画、魅力的な音楽は空腹など簡単に忘れさせてくれると実感。
主人公二人の音楽に向ける情熱は、ただ音楽だけに向けられたものではない。
人として自由に生きたいという生への真摯な渇望が音楽という形をとっているのだろう。
音楽仲間たち。みな当局の妨害や嫌がらせ、近所の人たちの目(耳)をかいくぐって
涙ぐましいまでの工夫とアイデアと根性で切り抜けようとする。
その姿は一面滑稽であり、心を揺さぶられて抱きしめたくなるくらいピュアだ。
人が困難なことに一所懸命になる姿は、哀れで恥ずかしくて、でもそれを笑っている自分が悲しくなって、次には一直線にのめり込む彼らが羨ましくなる。美しいと感じるようになる。
登場するミュージシャンたちの音楽には力と魂が感じられるが、とりわけラップのヒッチキャスが響いた。またワーダットとダールクープの2つのグループはイラン伝統音楽の魅力に胸ワク。
シェルヴィン・ナジャフィヤーンの美しいギターと歌も心に染みた。
いいんです。どの曲も。どのグループも。
西洋のロックやブルースをやっていても、彼らの中にあるイランの伝統と文化が匂いたっていて、それが彼らの音楽の魅力のひとつだと思う。
もう一度観たい。聴きたい。
仕事の合間に名古屋シネマテークへ走る!
ランチも食べる暇なし。空腹を抱え、滑り込みで劇場にセーフ。
よい映画、魅力的な音楽は空腹など簡単に忘れさせてくれると実感。
主人公二人の音楽に向ける情熱は、ただ音楽だけに向けられたものではない。
人として自由に生きたいという生への真摯な渇望が音楽という形をとっているのだろう。
音楽仲間たち。みな当局の妨害や嫌がらせ、近所の人たちの目(耳)をかいくぐって
涙ぐましいまでの工夫とアイデアと根性で切り抜けようとする。
その姿は一面滑稽であり、心を揺さぶられて抱きしめたくなるくらいピュアだ。
人が困難なことに一所懸命になる姿は、哀れで恥ずかしくて、でもそれを笑っている自分が悲しくなって、次には一直線にのめり込む彼らが羨ましくなる。美しいと感じるようになる。
登場するミュージシャンたちの音楽には力と魂が感じられるが、とりわけラップのヒッチキャスが響いた。またワーダットとダールクープの2つのグループはイラン伝統音楽の魅力に胸ワク。
シェルヴィン・ナジャフィヤーンの美しいギターと歌も心に染みた。
いいんです。どの曲も。どのグループも。
西洋のロックやブルースをやっていても、彼らの中にあるイランの伝統と文化が匂いたっていて、それが彼らの音楽の魅力のひとつだと思う。
もう一度観たい。聴きたい。
2009年8月19日水曜日
映画「湖のほとりで」
イタリア映画
アンドレア・モライヨーリ監督 サンドロ・ペトラーリア脚本
「真実は深く そして美しく 眠っている」
可愛らしい子供が誘拐されたか、というおぞましい始まりから、物事は良くない方向へひたすら転がる。
殺人が連想させる人の心の不可解さとは裏腹に、風景はあくまで静かで美しい。
謎解きのようであって、実は人の心の弱さ、強さ、もろさ、したたかさが描かれる。そして最後に美しさと悲しさと安らぎが泉のように湧き出でてくる。
巧みなストーリー展開にひきこまれ、世界が反転して優しい気持ちになったところで、ああ、心を掴まれちゃった、と気づく。
魅力的な映画との幸せな出会いでした。
アンドレア・モライヨーリ監督 サンドロ・ペトラーリア脚本
「真実は深く そして美しく 眠っている」
可愛らしい子供が誘拐されたか、というおぞましい始まりから、物事は良くない方向へひたすら転がる。
殺人が連想させる人の心の不可解さとは裏腹に、風景はあくまで静かで美しい。
謎解きのようであって、実は人の心の弱さ、強さ、もろさ、したたかさが描かれる。そして最後に美しさと悲しさと安らぎが泉のように湧き出でてくる。
巧みなストーリー展開にひきこまれ、世界が反転して優しい気持ちになったところで、ああ、心を掴まれちゃった、と気づく。
魅力的な映画との幸せな出会いでした。
2009年3月23日月曜日
「懺悔」 テンギス・アブラゼ監督作品
新聞紙上で公開を知って、是非観たかった映画。今月はフォーラム21の定期演奏会準備や小学校PTAの用事で時間がないのだが、今見逃したら永遠に観られないかも!と自分を叱咤激励して名古屋シネマテークまで走った。
グルジア映画は幻想的な表現が得意,らしいが、昔見た「スタフ王の野蛮な狩」の幻想性とは異なる、もっと泥くさく、枯れた葡萄の葉の香りがする。ストレートな表現を避けながら、観客に思うことを熱く伝えるためにグルジア映画が生み出した魔法なのかもしれない。しかし、テーマは明確で、よくあの時代にこの映画をつくれたものだと驚きを禁じえない。
俳優陣の魅力的なこと。少女ケテヴァンの、何事も見逃すまいと見張る大きな目。大人になったケテヴァンの意思的な眼差しとその中に宿る喪失感。ニノが材木置き場で娘を抱きながら呆然と佇む絶望の眼差し。キリストそのもののようなサンドロの静かに燃える瞳、そしてそして、最高に感動したのがアフタンディル・マハラゼ演じるヴァルラムとアベル。ヴァルラムは時代と心中する道を邁進する男の狂気を、アヴェルは内心の分裂に悩む小心な男を演じ、見事だった。最高の演技を見せてもらった感動で
今も胸が高鳴る。
一番印象に残るシーンは、やはり材木置き場かな。
好きなシーンはケテヴァンのもとにトルニケが訪れるところ。
そして、いちばん恐ろしかったのは、ヴァルラムがサンドロの家を訪問し、悪魔のようにサンドロ一家に呪いをかけるところ。
もう一度、観たい映画のリストに入れよう。
グルジア映画は幻想的な表現が得意,らしいが、昔見た「スタフ王の野蛮な狩」の幻想性とは異なる、もっと泥くさく、枯れた葡萄の葉の香りがする。ストレートな表現を避けながら、観客に思うことを熱く伝えるためにグルジア映画が生み出した魔法なのかもしれない。しかし、テーマは明確で、よくあの時代にこの映画をつくれたものだと驚きを禁じえない。
俳優陣の魅力的なこと。少女ケテヴァンの、何事も見逃すまいと見張る大きな目。大人になったケテヴァンの意思的な眼差しとその中に宿る喪失感。ニノが材木置き場で娘を抱きながら呆然と佇む絶望の眼差し。キリストそのもののようなサンドロの静かに燃える瞳、そしてそして、最高に感動したのがアフタンディル・マハラゼ演じるヴァルラムとアベル。ヴァルラムは時代と心中する道を邁進する男の狂気を、アヴェルは内心の分裂に悩む小心な男を演じ、見事だった。最高の演技を見せてもらった感動で
今も胸が高鳴る。
一番印象に残るシーンは、やはり材木置き場かな。
好きなシーンはケテヴァンのもとにトルニケが訪れるところ。
そして、いちばん恐ろしかったのは、ヴァルラムがサンドロの家を訪問し、悪魔のようにサンドロ一家に呪いをかけるところ。
もう一度、観たい映画のリストに入れよう。
2009年2月1日日曜日
MET つばめ
午前中の予定が中止になったので、連れ合いとメトロポリタンオペラの「つばめ」を観にいく。
ジャコモ・プッチーニ作曲。こちらも「タイス」同様シンプルなお話。こういうのは歌い手の力量がはっきりみえてしまって、負担の大きな作品だろうと思う。
マグダ役のアンジェラ・ゲオルギューは風邪を押しての出演のせいか、前半、歌う前後に頻りに口をもぐもぐさせる様子が気になった。声の響に伸びやかさが欠けていて、むしろ小間使い役のリゼット、ランバルド役のサミュエル・レイミーの美声に聞き惚れた。しかし、後半は波に乗ってきて、素晴しい美声を聴かせてくれたから、よしとしよう。
幕間のインタビュアーは前に見た「タイス」のルネ・フレミング。サービス精神旺盛。
ジャコモ・プッチーニ作曲。こちらも「タイス」同様シンプルなお話。こういうのは歌い手の力量がはっきりみえてしまって、負担の大きな作品だろうと思う。
マグダ役のアンジェラ・ゲオルギューは風邪を押しての出演のせいか、前半、歌う前後に頻りに口をもぐもぐさせる様子が気になった。声の響に伸びやかさが欠けていて、むしろ小間使い役のリゼット、ランバルド役のサミュエル・レイミーの美声に聞き惚れた。しかし、後半は波に乗ってきて、素晴しい美声を聴かせてくれたから、よしとしよう。
幕間のインタビュアーは前に見た「タイス」のルネ・フレミング。サービス精神旺盛。
2009年1月28日水曜日
だれも守ってくれない
君塚良一という名を初めて知った。後で調べたら「踊る大捜査線」の監督だった。あのすべりの滑らかさ、心地よい台詞の流れ、日本映画っぽくない場面展開がなるほど、あの同じ監督か、と思った。日本映画って間延びした感じのが多いじゃない。それがない。常に適度な緊張感があって、時間あわせを感じさせない。エンターテインメントなのに、確かな社会的視点を持っている。
S事件を思い出した。犯行当時未成年だった少年をいつまでも追い続けるマスコミ、家族の消息まで知りたがる私たち。
自分だけはなるはずがないとだれもが思っている立場に思いをやる、視点の確かさ。
最優秀脚本賞を受けるのも頷ける。
S事件を思い出した。犯行当時未成年だった少年をいつまでも追い続けるマスコミ、家族の消息まで知りたがる私たち。
自分だけはなるはずがないとだれもが思っている立場に思いをやる、視点の確かさ。
最優秀脚本賞を受けるのも頷ける。
2008年12月16日火曜日
「豚のいる教室」
11月30日(日)
珍しく娘が見たいと誘ってくれた映画。
いろいろ考えさせられた。
教師の力量、飼育に関する知識と経験、親や子供や教師集団の信頼関係、それらが ないとしんどい授業になる。学校や子供たちを引っ掻き回すだけで終ってしまう恐れもあるだろう。
昔、同僚の女の先生は、食事会のとき尾頭付きの魚を食べなかった。
魚の目が怖いし、かわいそうだから、切り身しか食べられないの、と。
彼女は美食家で、鶏でも牛でも豚でもよく食べた。
尾頭付きの魚だけでなく、どんな肉にも命があった事は確かなのに。
彼女の感じ方に違和感を覚えたものだ。
子供たちには魚を下すところをよく見せる。
鱗が飛び散るところ、頭を出刃で叩き落すところ、3枚に下して皮を剥ぐところ。
鯛のようにある程度大きくて血液が赤い魚は、結構つらい。
最初は残酷という顔で見ている子供たちも、そうした命を食らって私たちが生きていることを
実感してくれるのだと思う。子供たちには、せめて魚を自分の力で捌けるようになってもらいたい。
しかし、自分で解体できるのは魚まで。牛や豚はともかく、鶏でも捌いたことはない。
私が小学生の頃、家で鶏を8羽ほど飼っていて、母が何度か絞めたことがあった。
その現場は、私たちに見せないようにしていた。
私たち兄弟は今まで餌を与えていた鶏の1羽が殺されて、調理されて、私たちの胃袋に入るという
事実に戦きながら、食卓を囲んだ。美味しかった。
生活の中で命を感じることが少なくなっているという。
昔はお年寄りは家で亡くなる事が多かった。
新しい命も産婆さんの支えで家で生まれた。
今ではどちらも病院内で、事が運んでしまう。
食べ物も、命を感じさせない形で小奇麗にパックされて売られる。
ホームレスの人たちを襲撃して殺めてしまう子供たちが現れ 、一方でペットを人間のように扱う人たちが増え、そのニーズに答える業種が 繁盛している。
歪を感じる。
映画館を出てから、娘は豚を解体業者に送る事を選んだ、という。
なるほど、と頷きながら、私は彼女の答えをどうとらえたらよいのか、 まだ解らないでいる。
珍しく娘が見たいと誘ってくれた映画。
いろいろ考えさせられた。
教師の力量、飼育に関する知識と経験、親や子供や教師集団の信頼関係、それらが ないとしんどい授業になる。学校や子供たちを引っ掻き回すだけで終ってしまう恐れもあるだろう。
昔、同僚の女の先生は、食事会のとき尾頭付きの魚を食べなかった。
魚の目が怖いし、かわいそうだから、切り身しか食べられないの、と。
彼女は美食家で、鶏でも牛でも豚でもよく食べた。
尾頭付きの魚だけでなく、どんな肉にも命があった事は確かなのに。
彼女の感じ方に違和感を覚えたものだ。
子供たちには魚を下すところをよく見せる。
鱗が飛び散るところ、頭を出刃で叩き落すところ、3枚に下して皮を剥ぐところ。
鯛のようにある程度大きくて血液が赤い魚は、結構つらい。
最初は残酷という顔で見ている子供たちも、そうした命を食らって私たちが生きていることを
実感してくれるのだと思う。子供たちには、せめて魚を自分の力で捌けるようになってもらいたい。
しかし、自分で解体できるのは魚まで。牛や豚はともかく、鶏でも捌いたことはない。
私が小学生の頃、家で鶏を8羽ほど飼っていて、母が何度か絞めたことがあった。
その現場は、私たちに見せないようにしていた。
私たち兄弟は今まで餌を与えていた鶏の1羽が殺されて、調理されて、私たちの胃袋に入るという
事実に戦きながら、食卓を囲んだ。美味しかった。
生活の中で命を感じることが少なくなっているという。
昔はお年寄りは家で亡くなる事が多かった。
新しい命も産婆さんの支えで家で生まれた。
今ではどちらも病院内で、事が運んでしまう。
食べ物も、命を感じさせない形で小奇麗にパックされて売られる。
ホームレスの人たちを襲撃して殺めてしまう子供たちが現れ 、一方でペットを人間のように扱う人たちが増え、そのニーズに答える業種が 繁盛している。
歪を感じる。
映画館を出てから、娘は豚を解体業者に送る事を選んだ、という。
なるほど、と頷きながら、私は彼女の答えをどうとらえたらよいのか、 まだ解らないでいる。
2008年10月9日木曜日
黒いオルフェ
光と闇を強烈に感じさせる映像。人々の感情はシンプルで力強い。
まるで神話の世界をリオに持ってきたかのよう。登場する人々はみなはっとするほど美しい。
主人公たちはともかく、穴の開いた服を着た子供たちも、雑貨屋のおばさんたちも、踊り狂う太った女たちも、みな表情が輝いている。
オルフェが「黒人の中でいちばん惨めな人間になってしまった」と嘆き悲しむ時、同僚が言う。「神に慈悲を乞うのだよ」と。現実の悲惨さに対峙するとき、彼らに残されたことは祈ること。そして生きている証しを全身で踊って表現することしかない。
彼らは貧しいなか、カーニバルのために生きているといってもいいほど衣装や準備に大枚をはたく。彼らの輝きは生きる喜びの発露のようだ。なんという力強さ。将来のために今を我慢してほそぼそと貯蓄しつつ、ささやかな幸せを追う私たちとの国民性の違いに圧倒される。圧倒的に貧しい国の人々が私たち日本人よりも力強い生命力を発揮できるのは、生き方の違いなのだろう。
オルフェとユリディスの悲恋ストーリーだが、この映画の本当のテーマは生命力の圧倒的な美だと感じた。
まるで神話の世界をリオに持ってきたかのよう。登場する人々はみなはっとするほど美しい。
主人公たちはともかく、穴の開いた服を着た子供たちも、雑貨屋のおばさんたちも、踊り狂う太った女たちも、みな表情が輝いている。
オルフェが「黒人の中でいちばん惨めな人間になってしまった」と嘆き悲しむ時、同僚が言う。「神に慈悲を乞うのだよ」と。現実の悲惨さに対峙するとき、彼らに残されたことは祈ること。そして生きている証しを全身で踊って表現することしかない。
彼らは貧しいなか、カーニバルのために生きているといってもいいほど衣装や準備に大枚をはたく。彼らの輝きは生きる喜びの発露のようだ。なんという力強さ。将来のために今を我慢してほそぼそと貯蓄しつつ、ささやかな幸せを追う私たちとの国民性の違いに圧倒される。圧倒的に貧しい国の人々が私たち日本人よりも力強い生命力を発揮できるのは、生き方の違いなのだろう。
オルフェとユリディスの悲恋ストーリーだが、この映画の本当のテーマは生命力の圧倒的な美だと感じた。
2008年9月18日木曜日
「ヤンヤン 夏の想い出」
木曜だけど、鳴海の母は俳句の会に出かけて不在なので、私は一人ですることのない1日。ずっと気になっていたDVDを観た。
「ヤンヤン 夏の想い出」エドワード・ヤン監督、脚本。 男の子の可愛いアップ写真と題名に騙されたが、これは完全に大人向け映画(大人でなければ理解できないという意)。大変真面目でペーソスが効いて、親の人生と子供の人生を丁寧になぞった佳作。
172分の長さは劇場で観るには良いけど、家で一人観るには緊張が切れそうで少々辛かった。が、半分を超えて父親の人生と、子供が現在遭遇している事件が重なり合う頃から監督の意図が伝わるようになってきて、なんとも愛しく心に染みる場面場面を食い入るように見入ってしまった。
祖母が孫娘の前に元気な姿を見せて、安心させてやるが、実は祖母は死んでいたという場面。父親が妻に打ち明ける場面。ヤンヤンの、祖母へのお別れの言葉。欠点だらけで生活の波に翻弄されてばかりの人々が大好きになった。私も、そう。失敗して、言い訳して、反省して、落ち込んで、でもヤンヤン一家のように誠実に生きていけばいいんだ、と。人生捨てたモンじゃない、と思える。
イッセー尾形が思慮深い日本人の役で出てきたのは嬉しかった。悪役に日本人が使われる映画が多いので、この役回りは意外に思ったくらい。
心が疲れたときにまた観よう。
「ヤンヤン 夏の想い出」エドワード・ヤン監督、脚本。 男の子の可愛いアップ写真と題名に騙されたが、これは完全に大人向け映画(大人でなければ理解できないという意)。大変真面目でペーソスが効いて、親の人生と子供の人生を丁寧になぞった佳作。
172分の長さは劇場で観るには良いけど、家で一人観るには緊張が切れそうで少々辛かった。が、半分を超えて父親の人生と、子供が現在遭遇している事件が重なり合う頃から監督の意図が伝わるようになってきて、なんとも愛しく心に染みる場面場面を食い入るように見入ってしまった。
祖母が孫娘の前に元気な姿を見せて、安心させてやるが、実は祖母は死んでいたという場面。父親が妻に打ち明ける場面。ヤンヤンの、祖母へのお別れの言葉。欠点だらけで生活の波に翻弄されてばかりの人々が大好きになった。私も、そう。失敗して、言い訳して、反省して、落ち込んで、でもヤンヤン一家のように誠実に生きていけばいいんだ、と。人生捨てたモンじゃない、と思える。
イッセー尾形が思慮深い日本人の役で出てきたのは嬉しかった。悪役に日本人が使われる映画が多いので、この役回りは意外に思ったくらい。
心が疲れたときにまた観よう。
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