名古屋フォレストクリニックに置いてあったので、購入。
病気の知識、薬の効用や症状に応じた使い方を一般人にも分かりやすく解説してある。
分かりやすく、ということはポイントを押さえて簡単明瞭に書いてあるわけで、初学者である家族にはちょうど良い知識量と思う。
認知症、といえば穏やかなボケとアルツハイマーしか知らなかった私には大変勉強になった。
症状に応じて、こんなにもいろいろな薬で対応できるという事実も、知らなかった。
以前、主治医の先生に、アリセプト以外にも薬があるのではありませんか?アリセプトが効かないので、他の薬を試すことはできませんか?とお尋ねしたことがある。主治医は「アリセプトは服用限度量があります。限度量まで行ってから他の薬に変えましょう。そういう使い方をするものです」と仰った。効かない薬を限度まで飲んで、何になろう。結局母のことは諦めなさいということか、とがっくりしたものだった。
河野先生の指示でフェルガードと血栓を溶かす薬の服用を始めてはや1ヵ月半。
母の意識があちらの世界からこちらの世界へ戻ってきたのを実感している。
河野先生は「認知症を野球に例えるなら、9回裏からでも奇跡は起こる」と自著で仰っているが、まさにそれを目の当たりにした気分。
アリセプトだけを飲み続けて、良くなったと一度も思えぬまま3年半を無為に過ごしてしまったことが悔やまれる。もっと早く、発症に気づいた時に河野先生と出会っていたら、母はどんな状態で今日を生きているのだろう?
「治らないものですから」「良くなるものではありません」とこれまで言いつづけた名医といわれる某お医者さん、河野先生の下で斯く斯く変化が見られました、アルツハイマーではなく脳血管性の認知症と診断されましたと申し上げたら、「いろいろ考え方がありますからね」ですって。
二度と同じ過ちを他の患者さんで繰り返さないように、もっと視野を広げてください。
お願いします。
母の3年半、戻せるものなら戻してあげたい。
2011年10月30日日曜日
2011年10月18日火曜日
久しぶりの修羅場
前回のお出ましからちょうど1週間目が今日なので、そろそろ強制しないといけないな、と思っていたら、、夕方ありました。
量的にそれほど多くなかったので、まだまだ来るはず、と分かっていたのに、油断していました。
トイレの警報の電源が切ってあったことを忘れていたの。
5番目のセンスで嫌な予感をキャッチして、走っていったが時既に遅し。
沼地の上で母は呆然と足踏みしていました。
脱がせたズボンで応急的に足の裏を拭いてから、「タオルと紙を持ってくるから、お願いだからここから離れないでね」 と念を押しても無駄なことはわかっていました。戻った時には母は畳の部屋へ。
体を洗って、板の間を掃除して、畳の部屋も拭いて、トイレも掃除して、着ていたものも全て洗って、
終わった時には2時間ちょっと経っていました。
アルコールで拭き上げて、それでも匂うので無臭の消臭剤をスプレーしてまわったのですが、においはとれません。
明日になっても匂っていたらどうしよう?
においを取る良い方法はないだろうか?
虚脱。
量的にそれほど多くなかったので、まだまだ来るはず、と分かっていたのに、油断していました。
トイレの警報の電源が切ってあったことを忘れていたの。
5番目のセンスで嫌な予感をキャッチして、走っていったが時既に遅し。
沼地の上で母は呆然と足踏みしていました。
脱がせたズボンで応急的に足の裏を拭いてから、「タオルと紙を持ってくるから、お願いだからここから離れないでね」 と念を押しても無駄なことはわかっていました。戻った時には母は畳の部屋へ。
体を洗って、板の間を掃除して、畳の部屋も拭いて、トイレも掃除して、着ていたものも全て洗って、
終わった時には2時間ちょっと経っていました。
アルコールで拭き上げて、それでも匂うので無臭の消臭剤をスプレーしてまわったのですが、においはとれません。
明日になっても匂っていたらどうしよう?
においを取る良い方法はないだろうか?
虚脱。
2011年10月11日火曜日
薬を替えてから、約1ヶ月
後二日で、名古屋フォレストクリニックの初診からほぼ1ヶ月が経つ。
母の変化
1、歩くのが以前より早くなった。
2、テレビを見て、笑ったり、悲しんだり、場面に応じた反応を見せるようになった。
3、言葉が出てくるようになった。頓珍漢な言葉でなく、こちらの言っていることを理解したうえでの言葉。2語文程度。
4、朝の着替え、入浴時の着替えを嫌がるようになった。羞恥心が戻ってきたということ。
5、最所の1週間ほどは、紙パンツが朝晩通して、殆ど汚れなくなったのだが、1週間を過ぎる頃から再び漏らすようになってきた。
6、表情がでてきた。
5については理由が分からないが、1~4,6に関しては、明らかに半年以上前の状態に戻っている。
すごい。
このままどんどん回復してくれると有難いのだが、羞恥心と自尊心のせいで本人も周りも苦しい時に後戻りしているわけで、この状態がずっと続くのは母にとって辛いだろう。何も分からなくなっていたときのほうが、母は幸せかもしれない。それを思うと、私たちがしていることは母を苦しめるだけなのか。苦しむ以前の状態に戻れることを期待しているのだが。
母の変化
1、歩くのが以前より早くなった。
2、テレビを見て、笑ったり、悲しんだり、場面に応じた反応を見せるようになった。
3、言葉が出てくるようになった。頓珍漢な言葉でなく、こちらの言っていることを理解したうえでの言葉。2語文程度。
4、朝の着替え、入浴時の着替えを嫌がるようになった。羞恥心が戻ってきたということ。
5、最所の1週間ほどは、紙パンツが朝晩通して、殆ど汚れなくなったのだが、1週間を過ぎる頃から再び漏らすようになってきた。
6、表情がでてきた。
5については理由が分からないが、1~4,6に関しては、明らかに半年以上前の状態に戻っている。
すごい。
このままどんどん回復してくれると有難いのだが、羞恥心と自尊心のせいで本人も周りも苦しい時に後戻りしているわけで、この状態がずっと続くのは母にとって辛いだろう。何も分からなくなっていたときのほうが、母は幸せかもしれない。それを思うと、私たちがしていることは母を苦しめるだけなのか。苦しむ以前の状態に戻れることを期待しているのだが。
2011年9月15日木曜日
名古屋フォレストクリニックで母を診察
友人のお母様が、レビー小体型認知症を克服したという話を聞いて、
やれることはやっておきたい、と一縷の希望を抱いて
名古屋フォレストクリニックに診察の予約を入れ、昨日が診察日だった。
今までアルツハイマーだと診断され、アリセプトを飲み続けても
全く、全く、全く効果が見られず、お医者に訴えても、アルツハイマーは良くなりませんよ、
と「当然でしょ」のように言われ、殆ど諦めていたのだが、
まだできることがあるかもしれないと思うと、少し希望が持てた。
河野先生曰く
この方はアルツハイマーではありませんね。
ピックがあるかな、そして脳血管性認知症ですね。
アリセプトは効かなかったでしょうね。
脳血栓がヒドイですね。どうしてこれに気づかなかったのだろう。
医者としていけませんね。
心臓に来ることもあるので、気をつけてあげてください。
これから血液をさらさらにする薬を出します。
フェルガードも飲んでください。
70パーセント治りますよ。
「治りますよ」
信じがたい言葉だった。
最後に河野医師は母の手を両手で挟むように握り、
顔を覗き込んで、再度
治りますよ、と笑顔で仰った。
治療方法を患者と家族に提示し、
家族にも協力を求める姿勢、
患者に対するまっすぐな気持ち、
それらが私の頑なだった心を融かした。
この先生について行こう、と決めた。
やれることはやっておきたい、と一縷の希望を抱いて
名古屋フォレストクリニックに診察の予約を入れ、昨日が診察日だった。
今までアルツハイマーだと診断され、アリセプトを飲み続けても
全く、全く、全く効果が見られず、お医者に訴えても、アルツハイマーは良くなりませんよ、
と「当然でしょ」のように言われ、殆ど諦めていたのだが、
まだできることがあるかもしれないと思うと、少し希望が持てた。
河野先生曰く
この方はアルツハイマーではありませんね。
ピックがあるかな、そして脳血管性認知症ですね。
アリセプトは効かなかったでしょうね。
脳血栓がヒドイですね。どうしてこれに気づかなかったのだろう。
医者としていけませんね。
心臓に来ることもあるので、気をつけてあげてください。
これから血液をさらさらにする薬を出します。
フェルガードも飲んでください。
70パーセント治りますよ。
「治りますよ」
信じがたい言葉だった。
最後に河野医師は母の手を両手で挟むように握り、
顔を覗き込んで、再度
治りますよ、と笑顔で仰った。
治療方法を患者と家族に提示し、
家族にも協力を求める姿勢、
患者に対するまっすぐな気持ち、
それらが私の頑なだった心を融かした。
この先生について行こう、と決めた。
2011年3月1日火曜日
久しぶりに母のこと
昨年末から1ヶ月あまり、母の体調が悪くて、閉尿と下痢に悩まされたのが嘘のように、ここ数ヶ月は体調が良さそうで、私も楽をさせてもらっている。
何が楽かって、お洗濯の回数が違う。下痢がひどいときは毎日のように衣類を上から下まで全て、何セットも洗わなければならなかったし、使うタオルの量も半端じゃなかった。シャワーも、ひどいときは1日に4回くらい使って下半身を洗っていたから、今思い出してもぞっとする。
母がトイレで「大」をしたことに気づかないと、最悪のときは汚物の着いた紙パンツを手でむしってばらばらにして、部屋のあちらこちらに隠してしまうし、紙パンツの中の粉状のポリマーが汚物とともに室内やトイレに散乱して髪が逆立つような恐怖を感じたものだ。掃除をしていて、やり場のない憤りと悲しみに押しつぶされそうになった。 母がトイレに行かないか、いつも見張っていなければならず、頭がおかしくなりそうだった。下痢のときは、トイレに行くたびにパンツを代えて、お尻を洗わなければならなかった。今は下痢も治ったし、トイレにセンサーを設置したので、そのような苦労はなくなった。母の健康と文明の利器、万歳!!だ。
粗相をしてしまったときは、母は呆然と立ち尽くしている。自分でもどうしていいかわからず、混乱して我を忘れているのだろう。一緒に泣きたくなる。これが実母なら、もっと、もっと悲しいのだろうか?申し訳ないが、自分を生んだ人ではない、というスイッチが私の心の中で押されていて、変わり果てた母を見るのは悲しく悔しいのだが、どこか諦めて突き放した気持ちの私がいる。愛情が足りないのかなあ。
とりあえず、土日祝日以外はデイサービスのお世話になっているので、9時30分から夕方4時まで、私は家を閉めて仕事に行くこともできる。夕食後、母に入浴してもらってから、家を抜け出してドラムを叩きに行くこともできる。たまの土日には好きな映画を見に行くこともできる。介護制度はいろいろ問題もあるが、利用者にとって、ないとあるとでは大違いで大変ありがたい。この制度がなかったら、私は壊れていたかもしれない。
母は今日、自分の名前が言えなかった。2ヶ月前までは覚えていたのに。
何が楽かって、お洗濯の回数が違う。下痢がひどいときは毎日のように衣類を上から下まで全て、何セットも洗わなければならなかったし、使うタオルの量も半端じゃなかった。シャワーも、ひどいときは1日に4回くらい使って下半身を洗っていたから、今思い出してもぞっとする。
母がトイレで「大」をしたことに気づかないと、最悪のときは汚物の着いた紙パンツを手でむしってばらばらにして、部屋のあちらこちらに隠してしまうし、紙パンツの中の粉状のポリマーが汚物とともに室内やトイレに散乱して髪が逆立つような恐怖を感じたものだ。掃除をしていて、やり場のない憤りと悲しみに押しつぶされそうになった。 母がトイレに行かないか、いつも見張っていなければならず、頭がおかしくなりそうだった。下痢のときは、トイレに行くたびにパンツを代えて、お尻を洗わなければならなかった。今は下痢も治ったし、トイレにセンサーを設置したので、そのような苦労はなくなった。母の健康と文明の利器、万歳!!だ。
粗相をしてしまったときは、母は呆然と立ち尽くしている。自分でもどうしていいかわからず、混乱して我を忘れているのだろう。一緒に泣きたくなる。これが実母なら、もっと、もっと悲しいのだろうか?申し訳ないが、自分を生んだ人ではない、というスイッチが私の心の中で押されていて、変わり果てた母を見るのは悲しく悔しいのだが、どこか諦めて突き放した気持ちの私がいる。愛情が足りないのかなあ。
とりあえず、土日祝日以外はデイサービスのお世話になっているので、9時30分から夕方4時まで、私は家を閉めて仕事に行くこともできる。夕食後、母に入浴してもらってから、家を抜け出してドラムを叩きに行くこともできる。たまの土日には好きな映画を見に行くこともできる。介護制度はいろいろ問題もあるが、利用者にとって、ないとあるとでは大違いで大変ありがたい。この制度がなかったら、私は壊れていたかもしれない。
母は今日、自分の名前が言えなかった。2ヶ月前までは覚えていたのに。
2010年12月1日水曜日
14,5日から続く修羅場
11月14,5日頃から母の下着が頻繁に便で汚れるようになる。
トイレで、下着についた便を取ろうとしてトイレットペーパーで擦り、その紙や汚れた下着を箪笥の中やら押入れやら本箱の裏に隠す。トイレの床は便が踏まれて惨憺たる有様。
紙パンツにすると、汚物のついたままむしりとって隠すので、あちこち汚物つきのポリマーが散乱して、さらにひどいことになる。
そんな日々が続いて今月17日、母の下腹がかなり膨れているのに気づき、病院へ連れて行く。体を折り気味にして、痛そうにしているので、便秘かと疑ったが、実は膀胱に溜まった尿が原因だった。
導尿の結果、1450ccの尿が出た。これにはお医者さんもびっくり。いつから出ていなかったのだろう?お腹はすっきりへこんだ。気の毒に、随分苦しかったに違いない。しかし、言葉で自身の窮状を訴えることもできなかったのだ。
その後もあい変わらず尿は出ない。17日夜、650ccの尿を導尿で排泄。
結局そのまま尿は出ない。泌尿器科を受診して、薬をもらったが、
これ以上待っても出そうにないので、家庭での導尿に踏み切る。これが27日。
私が母に対して行う導尿自体は、思ったほど難しくなかったが、母の反発と拒否が大きな壁となっている。
トイレで、下着についた便を取ろうとしてトイレットペーパーで擦り、その紙や汚れた下着を箪笥の中やら押入れやら本箱の裏に隠す。トイレの床は便が踏まれて惨憺たる有様。
紙パンツにすると、汚物のついたままむしりとって隠すので、あちこち汚物つきのポリマーが散乱して、さらにひどいことになる。
そんな日々が続いて今月17日、母の下腹がかなり膨れているのに気づき、病院へ連れて行く。体を折り気味にして、痛そうにしているので、便秘かと疑ったが、実は膀胱に溜まった尿が原因だった。
導尿の結果、1450ccの尿が出た。これにはお医者さんもびっくり。いつから出ていなかったのだろう?お腹はすっきりへこんだ。気の毒に、随分苦しかったに違いない。しかし、言葉で自身の窮状を訴えることもできなかったのだ。
その後もあい変わらず尿は出ない。17日夜、650ccの尿を導尿で排泄。
結局そのまま尿は出ない。泌尿器科を受診して、薬をもらったが、
これ以上待っても出そうにないので、家庭での導尿に踏み切る。これが27日。
私が母に対して行う導尿自体は、思ったほど難しくなかったが、母の反発と拒否が大きな壁となっている。
2009年7月21日火曜日
母のこと
久しぶりに母の事を書こう。
半年前、自分の脳が壊れ始めていることを自覚してしまう今が、母にとって一番辛い時期なのでは、と思ったが、その状態は今も続いている。しかも、壊れ方に加速度がついてきたように感じる。
先日、青ざめて思いつめた顔で母はやってくると、孫たちに酷い目に合わされたと私に訴えた。台所の天袋に入れてあった品物がみな流し台に下ろされていたという。あの子たちには憎まれ口一つ言ったことはないし、嫌がられることなど何もしてこなかったのに、どうして私はこんな辛い目に遭わせられなければならないの?と涙を溜めて訴える。声は震え、悔しさと憤りのやり場がない様子である。
私は、「本当にひどい子たちですね、お母さんごめんなさい。よく言って聞かせますから。」と言うべきなのかもしれない。しかし、私にはそれが言えなかった。
「あの子達はお母さんの事が大好きで、とても大切に思っていますよ、お母さんを困らせるようなことはしませんから、安心してくださいね。お兄ちゃんは大学から帰ってすぐ夕食をかき込んで、バイトへ走って行ったのをお母さんも一緒に見ていたでしょ?妹は風邪を引いて今日一日こちらの2階で寝ていたではありませんか。二人ともそんなことをする状況にはありませんでしたよ。 」
そう言うと、母はきつい目をして私を見つめ、「なら誰がやったというの?」と私に問う。
私は言うべきではなかったことを言ってしまった。すなわち、「誰も、お母さんを苛めたり悪さをしたりすることはないのよ。家族皆お母さんの事が大好きなの。誰も悪くないの。だから、誰がやったなんて考えるのは止しましょうね。昨日見つかった化粧品のポーチも、お兄ちゃんが隠したとお母さんはずっと言っていたけど、今どこにありますか?覚えていないでしょ?自分でやったことを覚えていないのだから、しかたがないことなのよ」と
母は、ぼうっと私の顔を眺めていたが、よろよろと腰を上げ、小さな声で「わかりました」と言うと、部屋を出て行った。
15分ほど後に、母が廊下の壁で体を支えながらやってくると、涙をいっぱい溜めた目で「ごめんなさい。私は自分がこんなに物忘れが酷くなっているとは今まで気が付かなかったの。ごめんなさい。これからは本当にあなたに苦労をかけるわね」とようやくそれだけ言うと、ハンカチで目を押えた。私は母の肩を抱いて「謝らないで、お母さん、私こそ、しっかりと支えてあげられなくてごめんなさい」と言った。「こんなことになるなんて、こんなことになるなんて」とつぶやく母に、私は「順番ですよ、私やあなたの息子も、いずれ同じ路を歩くのですから」とかろうじて答えるしかなかった。
慈しみ、可愛がった孫たちに物を隠されたり捨てられたり嫌がらせされると誤解して悲しむ心。脳が急速に壊れ始めていると自覚してしまう恐怖。私が母の立場なら、耐えられるだろうか?
半年前、自分の脳が壊れ始めていることを自覚してしまう今が、母にとって一番辛い時期なのでは、と思ったが、その状態は今も続いている。しかも、壊れ方に加速度がついてきたように感じる。
先日、青ざめて思いつめた顔で母はやってくると、孫たちに酷い目に合わされたと私に訴えた。台所の天袋に入れてあった品物がみな流し台に下ろされていたという。あの子たちには憎まれ口一つ言ったことはないし、嫌がられることなど何もしてこなかったのに、どうして私はこんな辛い目に遭わせられなければならないの?と涙を溜めて訴える。声は震え、悔しさと憤りのやり場がない様子である。
私は、「本当にひどい子たちですね、お母さんごめんなさい。よく言って聞かせますから。」と言うべきなのかもしれない。しかし、私にはそれが言えなかった。
「あの子達はお母さんの事が大好きで、とても大切に思っていますよ、お母さんを困らせるようなことはしませんから、安心してくださいね。お兄ちゃんは大学から帰ってすぐ夕食をかき込んで、バイトへ走って行ったのをお母さんも一緒に見ていたでしょ?妹は風邪を引いて今日一日こちらの2階で寝ていたではありませんか。二人ともそんなことをする状況にはありませんでしたよ。 」
そう言うと、母はきつい目をして私を見つめ、「なら誰がやったというの?」と私に問う。
私は言うべきではなかったことを言ってしまった。すなわち、「誰も、お母さんを苛めたり悪さをしたりすることはないのよ。家族皆お母さんの事が大好きなの。誰も悪くないの。だから、誰がやったなんて考えるのは止しましょうね。昨日見つかった化粧品のポーチも、お兄ちゃんが隠したとお母さんはずっと言っていたけど、今どこにありますか?覚えていないでしょ?自分でやったことを覚えていないのだから、しかたがないことなのよ」と
母は、ぼうっと私の顔を眺めていたが、よろよろと腰を上げ、小さな声で「わかりました」と言うと、部屋を出て行った。
15分ほど後に、母が廊下の壁で体を支えながらやってくると、涙をいっぱい溜めた目で「ごめんなさい。私は自分がこんなに物忘れが酷くなっているとは今まで気が付かなかったの。ごめんなさい。これからは本当にあなたに苦労をかけるわね」とようやくそれだけ言うと、ハンカチで目を押えた。私は母の肩を抱いて「謝らないで、お母さん、私こそ、しっかりと支えてあげられなくてごめんなさい」と言った。「こんなことになるなんて、こんなことになるなんて」とつぶやく母に、私は「順番ですよ、私やあなたの息子も、いずれ同じ路を歩くのですから」とかろうじて答えるしかなかった。
慈しみ、可愛がった孫たちに物を隠されたり捨てられたり嫌がらせされると誤解して悲しむ心。脳が急速に壊れ始めていると自覚してしまう恐怖。私が母の立場なら、耐えられるだろうか?
2009年3月11日水曜日
靴がない?
「あの子が意地悪をして、靴を片方ずつ、どこかへやっちゃうの。」と訴える。下駄箱を見せてもらうと、全部左右は揃っている。「私が靴をたくさん持っているから、持ちすぎだと思って、意地悪するのよ。」だって。最近は靴を左右、間違えるようになったということか。アリセプトは毎日必ず私の目の前で飲んでいらっしゃるのに、症状は進む一方。「いろんなものがなくなるから、もう頭がおかしくなりそう。あの子を何とかしてちょうだい。」と。今の母の辛さはいかほどだろう。毎日毎日、できないことが増えていく恐怖。
2009年3月6日金曜日
鍵はなぜなくならないか
母のネックレス、ブローチ、指輪など様々な宝飾品が押入れだの戸棚だの、いろんなところから出てくる。思うに、母が大切だと思ったものは失くすのが怖いのであちこちに隠してしまうのだろう。しかし、隠した場所は半日も覚えていられないから、盗られたとか隠されたと被害妄想に陥る。カバンに紐で結んだ財布はすぐにほどいてどこかへ隠して、あげく見つからなくなってしまうが、なぜか玄関の鍵はなくならずにカバンに結んだままである。母はカバンに鍵が入っていることが覚えられないから、隠さない、それで、なくならない、というわけだ。どちらにしろ、母が鍵を使うことはない。
2009年2月24日火曜日
首から財布?
今朝、母が深刻な顔をして、私のところへいらっしゃた。なかなか言い出せない様子。促すと、財布が二つともでてこないという。布団の下に置いて寝ていたらしい。寝る時にはあったのに、朝起きたらなくなっていた、と。自分にもしそんなことが起きたら、さぞ気持ち悪いだろうと思う。母もこのことをどう理解してよいか分からず、気味悪がっている様子。今日はミニデイサービスに行く日(2回目)なので、「またあとで探しましょうね」と言って一緒に家を出る。このまま1人で家にいたら気持ちが滅入るばかりだから、ミニデイに行く日でよかった。
母のバッグに紐で結わえておいた財布も、これでまたなくなってしまったことになる。そうならないように、紐からはずさないでね、と何度も念を押したのだが、おそらくすぐに忘れてしまわれるのだろう。でも鍵はまだ紐についたままなので大丈夫のようだ。財布はこれから首にぶら下げて寝てもらったらどうかな?
玄関の鍵がまた2つ見つかった。こちらで預からせていただく。これで全部見つかったことになって、ほっと一安心。でも、一体どこにあったんだろう?あれだけ探して出てこなかったのに。
母のバッグに紐で結わえておいた財布も、これでまたなくなってしまったことになる。そうならないように、紐からはずさないでね、と何度も念を押したのだが、おそらくすぐに忘れてしまわれるのだろう。でも鍵はまだ紐についたままなので大丈夫のようだ。財布はこれから首にぶら下げて寝てもらったらどうかな?
玄関の鍵がまた2つ見つかった。こちらで預からせていただく。これで全部見つかったことになって、ほっと一安心。でも、一体どこにあったんだろう?あれだけ探して出てこなかったのに。
2009年2月22日日曜日
母の気持ち
お昼用にパンを買ってくるわね、と言って、母は出かけた。
買ってきたのは菓子パンばかり。
私たちはいつも惣菜パンと食パンまたはバケット、そして菓子パンは殆ど食事用には買わない。
だからつれあいが「あれ?食パンは買わなかったの?菓子パンばかりだね」と言った。別に問い詰める風ではなかったのだが、母には気になったらしい。食事の後、こんどは鬼饅頭を5つ買ってきた。「パンが足りないとおもったから」と。
話している内容は取り違えているが、自分の息子が不満を持ったようだという事は気づいていて、そのために鬼饅頭を買ってきたのだろう。頓珍漢ではあるが、こちらが喜んでいるか、戸惑っているかは敏感に察知される。どうせ何もわからないと、ばかにしたりそっけなくしたり、は禁物だと思う。何事も、母がしてくれたことはたっぷり喜んで見せる。詰問調はだめ。やさしい口調で、失敗したことを悟らせないように。私たちも、修行だ。
買ってきたのは菓子パンばかり。
私たちはいつも惣菜パンと食パンまたはバケット、そして菓子パンは殆ど食事用には買わない。
だからつれあいが「あれ?食パンは買わなかったの?菓子パンばかりだね」と言った。別に問い詰める風ではなかったのだが、母には気になったらしい。食事の後、こんどは鬼饅頭を5つ買ってきた。「パンが足りないとおもったから」と。
話している内容は取り違えているが、自分の息子が不満を持ったようだという事は気づいていて、そのために鬼饅頭を買ってきたのだろう。頓珍漢ではあるが、こちらが喜んでいるか、戸惑っているかは敏感に察知される。どうせ何もわからないと、ばかにしたりそっけなくしたり、は禁物だと思う。何事も、母がしてくれたことはたっぷり喜んで見せる。詰問調はだめ。やさしい口調で、失敗したことを悟らせないように。私たちも、修行だ。
2009年2月19日木曜日
紐付き鍵&財布
鍵がないと母は外へ出かけられない。誰も家にいないのに裏口に鍵をかけないなんて、耐えられないのだという。鍵の複製をお渡しすることにする。そのかわり紐でバッグに取り付けてしまう。ついでに財布も同様にする。当分このやり方で上手くいくと期待したのだが・・・。翌日、財布はバッグから取り外されていた。どこにあるの?と聞くと、「私は知らない」。でも茶箪笥の上に置いてあるのを見つけると、「私が置いたの」。外さなければなくならないのだから、このまま,絶対に紐から取らないでくださいね、と念を押す。この方法も無理かな。
2009年1月31日土曜日
鍵
家の玄関の鍵を母が外に落としてきたので、怖くて鍵穴から全て取り替えたのが半年前。新しい錠前は複製のきかぬ最新式、ということで予備も入れて5つも鍵を受け取ったのだがそれも半年で全てなくなった。裏口の鍵も2つあったのがなくなって、ようやく先日1つ見つけたので、さすがに鍵なしでは不便だろうと思い、複製を作ったのが昨日のこと。今朝それを母に渡す。夜渡すと、夜のうちにしまい場所を忘れてしまい、またKが盗ったことになってしまうから。それなのに昼過ぎ、どこにしまったかわからなくなった、と仰る。もう一つ、作ってきて、と。鍵1個複製代525円だけど、このハイペースでは・・・。
鍵代を払おうとするので、お預かりしているお母さんのお金から出させていただくから、いいですよ、と言うと「(私のお金なのに勝手に使えて)いいわね」だって。誰のためにこんな面倒くさいことをしているのよ!お預かりしていても、私のお金じゃないんだからね!と心の底で言い返したが、母の気持ちになってみれば、自分の物を自分で管理できない無念と不信はさぞ悔しいものだろうと思い、心を鎮める。顔ではニコニコして、何を言われても笑顔でいることにしているが、その分心の中で毒づいたり言い返したりすることが増えてきた。性格悪くなりそう。
鍵代を払おうとするので、お預かりしているお母さんのお金から出させていただくから、いいですよ、と言うと「(私のお金なのに勝手に使えて)いいわね」だって。誰のためにこんな面倒くさいことをしているのよ!お預かりしていても、私のお金じゃないんだからね!と心の底で言い返したが、母の気持ちになってみれば、自分の物を自分で管理できない無念と不信はさぞ悔しいものだろうと思い、心を鎮める。顔ではニコニコして、何を言われても笑顔でいることにしているが、その分心の中で毒づいたり言い返したりすることが増えてきた。性格悪くなりそう。
2009年1月23日金曜日
どうしたらよいのか?
母は家族の中で尊敬され、愛され、太陽のような存在だった。アルツハイマーの症状が進む前は。今、母は物がなくなることに戸惑い、家族を疑い、毎日少しづつ進む症状に脅えて暮らしている。物がなくなると「恐ろしい世の中になったわね」と静かにつぶやく。「どうしてこんなに色々なことが出来なくなってしまったのかしら、老いると言うことは、こういうことなのね。」とつぶやく。何より大切にしていた家族を疑い、自分の老いがあまりに急速に進むことをなすすべもなく見つめている。自分の脳が変調をきたしていることは、気づいているが、その理由は知らない。私たちも医者も、何も言わないから。
つれあいに、あなたなら、アルツハイマーと診断されたら黙っていて欲しい?教えて欲しい?と聞くと、それは教えて欲しいよ、と即答した。私もそう思う。残された時間を知り、出来ることをしておきたいと思うから。しかし、そんな私たちが、母には何も言えない。物がなくなるのは病気のせいで、家族がばかにしたり意地悪しているわけじゃないのよ、と教えてあげたい。今も、以前と同じように母のことを大切に思っているし、愛しているのよ、と言ってあげたい。しかし、進行の早い不治の病だと知ってしまったら、母は生きる意欲を無くしてしまわないだろうか?人から大切に思われ、その教養と人柄で一目置かれてきた人が、あまりの自分の置かれた残酷な運命に絶望してしまわないだろうか?
伝えることで母が私たち家族への信頼を取りもどし、残された日々をよりよく生きようという気持ちになってくれると判っているなら、ためらいなく告知するが、そんな保障はどこにもない。このまま家族への恨みと絶望をかかえたまま母の病気が進むのを見守るしかないのだろうか?
つれあいに、あなたなら、アルツハイマーと診断されたら黙っていて欲しい?教えて欲しい?と聞くと、それは教えて欲しいよ、と即答した。私もそう思う。残された時間を知り、出来ることをしておきたいと思うから。しかし、そんな私たちが、母には何も言えない。物がなくなるのは病気のせいで、家族がばかにしたり意地悪しているわけじゃないのよ、と教えてあげたい。今も、以前と同じように母のことを大切に思っているし、愛しているのよ、と言ってあげたい。しかし、進行の早い不治の病だと知ってしまったら、母は生きる意欲を無くしてしまわないだろうか?人から大切に思われ、その教養と人柄で一目置かれてきた人が、あまりの自分の置かれた残酷な運命に絶望してしまわないだろうか?
伝えることで母が私たち家族への信頼を取りもどし、残された日々をよりよく生きようという気持ちになってくれると判っているなら、ためらいなく告知するが、そんな保障はどこにもない。このまま家族への恨みと絶望をかかえたまま母の病気が進むのを見守るしかないのだろうか?
今日のお母さん
昨日、一時間30分かかって、財布3つ、めがね、玄関のカギ3つ、手帳、印かん1つを探し出した。
玄関のカギを全て無くしてしまい、困っていたので腰をすえて頑張った成果。カギはコピーのできない機種なので、これを無くされたら大変、というわけで、2つは母に内緒で私が預かることに。
詩吟から帰った母にそれらのあり場所を見せて、確認してもらい、場所をもう移さないようにお願いするが、母は自分がそこに置いたのではない、Aがやったことだ、と譲らない。
今朝、仕事に行く前に母がいらして、カギがない、と仰有る。あわてて昨日見つけた場所を探すが、影も形もない。私は動かしていない。Aがまたやったにちがいない、と。仕方がないので、玄関からの出入りは出来ないことにする。昨夜、私がいろいろ探し出してお渡ししたことをもう忘れていらっしゃる。
夕方、仕事から帰った私のもとにいらして、印鑑を出してくれ、と仰有る。Kさん(私)が印鑑を持って、すっと出ていくのを見たのだそうだ。あなたのカバンの中にあるはずだから、返して、と。昨日色々探した時、印鑑2本が引き出しに入れてあったのを確認していたので、そこを開いて見せると、さっき見たときにはなかったから、おかしい。と譲らない。kの次は私を疑うようになったのか、ショック。早くこの状況に慣れなくては。
玄関のカギを全て無くしてしまい、困っていたので腰をすえて頑張った成果。カギはコピーのできない機種なので、これを無くされたら大変、というわけで、2つは母に内緒で私が預かることに。
詩吟から帰った母にそれらのあり場所を見せて、確認してもらい、場所をもう移さないようにお願いするが、母は自分がそこに置いたのではない、Aがやったことだ、と譲らない。
今朝、仕事に行く前に母がいらして、カギがない、と仰有る。あわてて昨日見つけた場所を探すが、影も形もない。私は動かしていない。Aがまたやったにちがいない、と。仕方がないので、玄関からの出入りは出来ないことにする。昨夜、私がいろいろ探し出してお渡ししたことをもう忘れていらっしゃる。
夕方、仕事から帰った私のもとにいらして、印鑑を出してくれ、と仰有る。Kさん(私)が印鑑を持って、すっと出ていくのを見たのだそうだ。あなたのカバンの中にあるはずだから、返して、と。昨日色々探した時、印鑑2本が引き出しに入れてあったのを確認していたので、そこを開いて見せると、さっき見たときにはなかったから、おかしい。と譲らない。kの次は私を疑うようになったのか、ショック。早くこの状況に慣れなくては。
2009年1月20日火曜日
認知症
母がKの部屋に入り、寝ているKを起こして、財布やお金を盗るな、こんなことが続いたら家族でも警察に通報するよ、と言ったそうだ。Kはねぼけまなこで黙って聞いていたらしい。
母は後で私のところへ来て、Kが盗んだこと、財布ごと盗られたので困っていることを訴える。とりあえず今日は教会へいく用事があるだけと言うので1,000円と小銭を渡して、財布とバッグに入れるまで見届けようと母の部屋までついていく。そうしないと出かける前に、きっと無くしてしまうから。
最近は、前の日に渡した物が必ず次の日にはなくなっている。きっととんでもないところに隠しているのだろう。それにしても財布が6つ。一体どこにあるのか?お金の入れ物が無くては困るので台所を探してみたが、見当たらない。そうしているうちに「Kをこのまま野放しにしてはいけない」とか、「お金はいくらあっても欲しくなるものだから、Kもそうなのだろう」とか言い始めて、それに合図地を打たず黙って財布を探す私に、怒りをぶつけ始める。机の上の物を両手でブルドーザーのように落とし、どうしてだれも私のことを信じてくれないの!!と体をつっぷして泣き始めた。Kが盗ったのです、ごめんなさいと言ったとしても、財布やお金は出てこないのだから、母の悩みは消えない。結局私たちがKを甘やかして思うままにやらせているのでKは財布やお金を返さないのだと思ってしまう。Kではないですよ、お母さんの孫にそんなことをする子はいませんよ。というと、私の言うことを信じないと言って怒る。話をそらしてごまかすしかないのだが、毎日お金は無くなるので、毎日Kに対する怒りは再生産される。
これ以上事態が進んで母が自殺しないか、Kに危害を加えないか、心配になってくる。
お昼ご飯の時、ご機嫌がなおっていたので少し安心したが、母の苦しみを思うと、切ない。
母は後で私のところへ来て、Kが盗んだこと、財布ごと盗られたので困っていることを訴える。とりあえず今日は教会へいく用事があるだけと言うので1,000円と小銭を渡して、財布とバッグに入れるまで見届けようと母の部屋までついていく。そうしないと出かける前に、きっと無くしてしまうから。
最近は、前の日に渡した物が必ず次の日にはなくなっている。きっととんでもないところに隠しているのだろう。それにしても財布が6つ。一体どこにあるのか?お金の入れ物が無くては困るので台所を探してみたが、見当たらない。そうしているうちに「Kをこのまま野放しにしてはいけない」とか、「お金はいくらあっても欲しくなるものだから、Kもそうなのだろう」とか言い始めて、それに合図地を打たず黙って財布を探す私に、怒りをぶつけ始める。机の上の物を両手でブルドーザーのように落とし、どうしてだれも私のことを信じてくれないの!!と体をつっぷして泣き始めた。Kが盗ったのです、ごめんなさいと言ったとしても、財布やお金は出てこないのだから、母の悩みは消えない。結局私たちがKを甘やかして思うままにやらせているのでKは財布やお金を返さないのだと思ってしまう。Kではないですよ、お母さんの孫にそんなことをする子はいませんよ。というと、私の言うことを信じないと言って怒る。話をそらしてごまかすしかないのだが、毎日お金は無くなるので、毎日Kに対する怒りは再生産される。
これ以上事態が進んで母が自殺しないか、Kに危害を加えないか、心配になってくる。
お昼ご飯の時、ご機嫌がなおっていたので少し安心したが、母の苦しみを思うと、切ない。
2009年1月4日日曜日
後悔
昨日、デパートのカードが出てきた。なくしていた財布ががどこからか出てきて、その中に入っていたのだ。私が、「ここにあるということは、Kが盗ったのではなかったようですね」と言っても、納得しない様子で、「このカードはあなたが作ってくれて、ここに入れてくれたのではないの?」と。Kが持って行ったということを相変わらず主張する。ここまでこわれてしまったのか、とがく然。
今日は朝からお出かけなので、申し訳ないけど部屋の中を探させてもらうと、Kが盗ったことにされていた黄色い財布が出てきた。母が夕方帰宅してから、一緒に財布を探しましょうと持ちかけて、母を財布の隠れていた茶箪笥に導く。「あ、こんなところにあった」と母が財布を手に取る。中を確認してもらい、お金がなくなっていないことがわかり、ほっとした表情になる。その10分後に、連れ合いがもう一つの財布も見つけた。私は思わず「ここにあって、中身もきちんと入っているということは、どちらの財布もKが盗ったのではないということですね」と言ってしまう。母は「ここにあると言うことは、そういうことね」と言う。悪びれない様子に、私は思わず「とりあえず、出てきてよかったですね。Kのせいじゃないことがわかって、安心しました。」と言ってしまった。
Kのせいじゃないということは、母の物忘れのせいだということで、もちろんそれは事実だけど母が一番認めたくないことであることは確かだ。それから数時間、母の表情は暗かった。
言わなくてもいいことを言ってしまった。
病気のせいなのだから、母が一番つらいのだから、これからは何を言われても否定せず、認めよう。
ばかな私。
今日は朝からお出かけなので、申し訳ないけど部屋の中を探させてもらうと、Kが盗ったことにされていた黄色い財布が出てきた。母が夕方帰宅してから、一緒に財布を探しましょうと持ちかけて、母を財布の隠れていた茶箪笥に導く。「あ、こんなところにあった」と母が財布を手に取る。中を確認してもらい、お金がなくなっていないことがわかり、ほっとした表情になる。その10分後に、連れ合いがもう一つの財布も見つけた。私は思わず「ここにあって、中身もきちんと入っているということは、どちらの財布もKが盗ったのではないということですね」と言ってしまう。母は「ここにあると言うことは、そういうことね」と言う。悪びれない様子に、私は思わず「とりあえず、出てきてよかったですね。Kのせいじゃないことがわかって、安心しました。」と言ってしまった。
Kのせいじゃないということは、母の物忘れのせいだということで、もちろんそれは事実だけど母が一番認めたくないことであることは確かだ。それから数時間、母の表情は暗かった。
言わなくてもいいことを言ってしまった。
病気のせいなのだから、母が一番つらいのだから、これからは何を言われても否定せず、認めよう。
ばかな私。
2008年12月17日水曜日
紛失
12月17日(水)
Aが参ったな、という表情で訴える。
またお金がなくなって、おばあちゃんはAのせいにしているらしい。
「言わなくても、神様はご存知なんだよ」と窘められたという。
今回は10万円、先月は7万円、その前は3万円の紛失を孫の仕業だと思っている。
後になって変なところから封筒に入ったお金が出てきても、Kを疑ったことは忘れてしまっている。
以前は理由なく疑うようなことは決してしない人だったのだが。
なぜか嫁である私のせいにはしない。
いつもAが悪者になる。
おとなしくて性格も穏やかで、良い子なのに。
病気のせいだから仕方がないよ、と彼が言ってくれるのは救いだが、気分が良いはずはない。
トイレットペーパー、歯磨き、カバン、財布・・なくなったものはみな孫のせいになる。
印鑑も通帳も紛失の繰り返しで何度再発行したことか。
それでも自分で持ちたがる。
自分のものだから、自分で持ちたいのは当たり前だが、失くして探す労力を考えると、私たちが持って、言われたときに出してあげるのが良いと思うのだが。
Aが母を嫌いにならないようにフォローしなくては。
Aが参ったな、という表情で訴える。
またお金がなくなって、おばあちゃんはAのせいにしているらしい。
「言わなくても、神様はご存知なんだよ」と窘められたという。
今回は10万円、先月は7万円、その前は3万円の紛失を孫の仕業だと思っている。
後になって変なところから封筒に入ったお金が出てきても、Kを疑ったことは忘れてしまっている。
以前は理由なく疑うようなことは決してしない人だったのだが。
なぜか嫁である私のせいにはしない。
いつもAが悪者になる。
おとなしくて性格も穏やかで、良い子なのに。
病気のせいだから仕方がないよ、と彼が言ってくれるのは救いだが、気分が良いはずはない。
トイレットペーパー、歯磨き、カバン、財布・・なくなったものはみな孫のせいになる。
印鑑も通帳も紛失の繰り返しで何度再発行したことか。
それでも自分で持ちたがる。
自分のものだから、自分で持ちたいのは当たり前だが、失くして探す労力を考えると、私たちが持って、言われたときに出してあげるのが良いと思うのだが。
Aが母を嫌いにならないようにフォローしなくては。
母と病院へ
12月15日(月)
母と病院へ。もう母1人では行けないかもしれない。途中、おかしな方角へ自転車を走らせようとするので、声をかけた。私より前を走ろうとしない。
今日は問診に1時間半もかかった。その間1対1で観察し続けるお医者さんの仕事の大変さを思う。母は問診の中でいろいろな作業が思うように出来なくてがっかりするかと思ったが、意外なほど元気。先生の対応がお上手なのだろう。
薬をきちんと飲んでいるか、毎日チェックが必要になってきた。
母と病院へ。もう母1人では行けないかもしれない。途中、おかしな方角へ自転車を走らせようとするので、声をかけた。私より前を走ろうとしない。
今日は問診に1時間半もかかった。その間1対1で観察し続けるお医者さんの仕事の大変さを思う。母は問診の中でいろいろな作業が思うように出来なくてがっかりするかと思ったが、意外なほど元気。先生の対応がお上手なのだろう。
薬をきちんと飲んでいるか、毎日チェックが必要になってきた。
2008年9月29日月曜日
母の病院へ
母のことを新しく主治医になったM先生に報告に行く。
必要なもの(年金手帳など)を捨ててしまう。印鑑や通帳のしまい場所を次々変えて、自分でもわからなくなり、紛失する。一緒に探すのを嫌がる。なくなったものを家族のせいにする。市役所から届いた連絡書や郵便局から届いた「おしらせ」に母を責める文が書いてあると訴える。人の悪口をいう。この1ヶ月ほど新たに目に付き始めた症状。
一方で風呂を洗ったり、私の方の台所の後片付けなど、お願いしていないのにやってくれる。 意欲はあるし外出もしているのだから、そういう状態がこれからも続くように、できることを励ましてあげて、できなくなったことに意識が向かないようにしてあげるのが良いということだ。
いろいろなことが出来なくなると、攻撃的になる人、欝で引きこもる人、いろいろタイプはあるが、進んで家事を手伝って、まだまだ私は大丈夫とアピールする人は稀だとか。やはり義母は痴呆症になっても素敵な人だ。
M先生のあとでUさんのカウンセリングを受ける。各種金融機関の母を担当する人に、新たな契約を結ぶ場合は家族に相談してほしいとお願いしたら、と教えていただく。母はまだ自分はそこまで衰えていないと思っていらっしゃるし、あぶないから私たちが管理すると言ってしまうとプライドを傷つけることになるので、この案を取らせてもらう事にする。
必要なもの(年金手帳など)を捨ててしまう。印鑑や通帳のしまい場所を次々変えて、自分でもわからなくなり、紛失する。一緒に探すのを嫌がる。なくなったものを家族のせいにする。市役所から届いた連絡書や郵便局から届いた「おしらせ」に母を責める文が書いてあると訴える。人の悪口をいう。この1ヶ月ほど新たに目に付き始めた症状。
一方で風呂を洗ったり、私の方の台所の後片付けなど、お願いしていないのにやってくれる。 意欲はあるし外出もしているのだから、そういう状態がこれからも続くように、できることを励ましてあげて、できなくなったことに意識が向かないようにしてあげるのが良いということだ。
いろいろなことが出来なくなると、攻撃的になる人、欝で引きこもる人、いろいろタイプはあるが、進んで家事を手伝って、まだまだ私は大丈夫とアピールする人は稀だとか。やはり義母は痴呆症になっても素敵な人だ。
M先生のあとでUさんのカウンセリングを受ける。各種金融機関の母を担当する人に、新たな契約を結ぶ場合は家族に相談してほしいとお願いしたら、と教えていただく。母はまだ自分はそこまで衰えていないと思っていらっしゃるし、あぶないから私たちが管理すると言ってしまうとプライドを傷つけることになるので、この案を取らせてもらう事にする。
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