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2011年12月31日土曜日

読書 「だからテレビに嫌われる」 上杉隆 堀江貴文 著

上杉さんは、自由報道協会での活動を通して知った、今とても興味のある人。
もう1人の堀江貴文さんは、TVや新聞報道でしか知らない人で、
何故この二人が対談?とまず疑問に思った。
正直、堀江さんには全く良い印象はなかった。
東大を出る頭はあっても人としてはねー。というイメージ。
そう、あくまでイメージなの。
TVや新聞報道だけで判断すると、堀江さんは
頭のよさだけで道徳やら社会規範をぶち壊して平気な嫌なやつ。

この本を読んで、そのイメージがいかに、意図的に作られ、押し付けられてきたものかが判った。
堀江さんのことを全く知らなかったということに気づかされた。

だから、今現在、堀江さんについてはようやく、どんな人なんだろう?というスタートラインに立ってみている。

TVや新聞報道は信用できない、とうすうす思っていたが、この本は放送禁止用語を過剰に自主規制している件、放送利権独占の件、業界に政治家の子弟が就職している件、地デジが何故導入されたか、そして記者クラブの悪弊などなど面白くて恐ろしい話のオンパレード。

もともとTVはあまり見ないほうだったけど、スイッチを入れる気が失せたわ。

ニュースはCNNやBCC、Net News を頼るようになったし、
TVも新聞も、私には不要だと気づいた。

さようなら、TVさん、新聞さん。

2011年12月18日日曜日

「ダンゴムシに心はあるのか」 守山轍 著


抽象的な概念を操作して、行動に結びつけていく活動をココロの働きというなら、ダンゴムシにココロがあるというのは難しい。しかし、この場合はココロというよりコトバの働きがココロの活動を複雑にしていると考えたほうがいいのかな。

著者が言うように 「隠れた活動部位/内なるワタクシ」こそココロである、というならダンゴムシのみならず石にも鉄板にもココロはあると言う著者の主張に肯いてしまう。

植物にもココロがある。うんうん。

水にも心がある?気体にも?
ロボットには?
隠れた活動部位をもつ物体にはココロがある?

私の中ではまだまだ消化不足。
でも、物事の本質に迫る知的冒険を、著者のガイドで追体験できてとても刺激的だった。

2011年10月30日日曜日

読書 「おとなのための【オペラ】入門」 中野京子著 講談社プラスアルファ文庫

「チェネレントラ」
「椿姫」
「ホフマン物語」
「ファウスト」
「カルメン」

5作を解説した超初心者向け入門書。
少しだが写真もあって、楽しく読んだ。
椿姫にモデルがいたこと、チェネレントラ(シンデレラ)の類話が世界中に500以上あって、中国にも類似の民話があること、「カルメン」は実話が元になっていること、などなど楽しい話題がてんこ盛り。
あっという間に読めてしまう。こんな調子で他の作品の解説も書いて欲しいな。



2011年9月20日火曜日

読書 『エネルギーと原発のウソをすべて話そう」 武田邦彦

武田先生は、日本の原発の危険性を主張し続けてこられたそうだ。
さぞや大変な軋轢とご苦労を経験されたことと思う。
勇気と信念がなければできないことだ。

仮に安全性が確立したとして、それでも生まれ続ける放射性廃棄物をどう処理するおつもりなのでしょう?
運転し続けるために避けられない下請け作業員の被曝問題はどうするのでしょう?
そこが書かれていないのが、欠けたクロスワードパズルみたい。きっちり答えていただきたいものです。

氏のお考え、安全が確立したら原発を稼動させる、というのは、まだまだず---------------------っと先のことだから、(永遠に安全は確立しないかもしれないし)今から云々することはないかもしれないですが、氏の影響で原発の危険性を軽く見てしまう人がいるかもしれないですね。

電力は足りるのか、自然エネルギーは役立つか、などの記述は大変参考になりました。

率直な感想。
研究者という人々は、自らが研究してきたことが人類の役に立つか立たないか、冷静に考えるよりも、とにかく役に立つと信じたいのでしょうね。研究成果が使われずに葬り去られることは、たいそう辛いのでしょう。でも、それはエゴよ。

2011年8月21日日曜日

読書 「重度認知症をハーブエキスで治す」 河野和彦著

友人が教えてくれた病院の院長先生の著作。
アルツハイマーは、良くなると思わないでください、と言われて5年。
諦めの気持ちは、絶望へ。
予想していたより早い進行に戸惑いつつ、なすすべもなく立ち尽くすことしかできなかった。
この5年間、良くならないと明言して、毎回話も早々に切り上げようとするお医者のところへ通うのはいやだった。
できることはまだあります、と言ってくれる河野先生に飛び込んでみようと思う。
何もしないで、後で後悔したくない。

2009年8月18日火曜日

「差別と日本人」 野中広務 辛淑玉

書物を紐解いて、自らの無知を思い知らされる。新しい知識やものの見方、考え方に触れて幸せな気分になるのが読書の大きな楽しみだが、今回は違う。この書を一気に読み終え、ため息とともに閉じたとき、自分の無知と慢心を呪いたくなった。当事者でなければ語れないことが鋭くも正鵠を得た言葉でストレートにとびこんでくる。

私は50に手が届くまで生きていて、日本の社会の暗部や差別的な考え方など一通り以上の興味を持って生きてきたと思い込んでいた。 部落差別は、もう終っていることにしなければ終らないと思っていた。私は差別者としての当事者、無自覚な差別者の1人だったと気づかされた。
無知が人を傷つける。私もその1人にはなりたくない。知らなければならないことはまだまだたくさんある。

もう一つの誤認。
私は今まで、政治は野党を育てることでしか変わらないと思っていた。野中さんのような政治家が与党に存在したとは。与党内の筋の通った勢力を支えることで日本の政治が変わっていく可能性があると認めざるを得ない。しかし、与党内に野中さんと志を同じくする人はどれだけいるのだろうか? ?

また、野中さんご自身が認めていらっしゃるように、彼は法案を通すために強い毒をもつ餌を抱き合わせていることが多い。彼が努力して推し進めた法案の数々は今後も功罪を検証して行かねばならないだろう。彼は共産党を嫌う理由を述べてはいないが、妥協を拒み、あるべき最高のものしか認めない所謂「何でも反対」の共産党の姿勢が、野中さんのように一歩でも進むために他で妥協してじりじり前進するやり方とは相容れないからではないだろうか。しかし、私たちのような素人に野中氏の法案の何が前進で、何が毒なのかを知らせるために必要な知識を提供する役割は必要。

骨太の2人の力強さと、人としての魅力と、強さゆえの寂しさを知って、静かな勇気が湧いてきた。
つれあいにも一読を薦めよう。

2008年11月26日水曜日

「ぼくんち」 西原理恵子

11月5日
Aの貸してくれた本。
西原理恵子さんの「いけちゃんとぼく」を読んだのは1年前。あの1冊だけで心を鷲掴みにされて西原さんが大好きになった。
「ぼくんち」はこれもまた傑作。人間の強さと弱さ、喜びと悲しみ、愛と無関心、「善きもの」と「悪しきもの」の一筋縄では説明できないどろどろをこんな形で表現できるのか、と感嘆する。
どんな人生もいとおしい。歯の抜けた兄ちゃんの笑顔、最後に来た手紙。姉の底抜けの優しさ、弟の旅立ち。だれでも心に「ぼくんち」「わたしんち」があるから生きていけるのかもしれない。

2008年10月15日水曜日

「あしながおじさん」 J・ウエブスター作 坪井郁美 訳

英語の勉強で、「ジェルーシャがあしながおじさんに初めて書いた手紙」を暗記して、これは面白そうだ、読まなくては!と手に取った少女小説。

昔むかし、小学生の頃、学校図書館で借りたが、数ページ読ん全然面白くなく、挫折した記憶がある。
今読んで、この物語の本当の面白さは小学生の私ではわからんわい、と納得した。

殆どジェルーシャの手紙だけで物語が進んでいく。閉ざされた世界ー孤児院で植えつけられたsensitiveな視点が、友人やその家族とのふれあいにより融けていく様、ジェルーシャの大人の女性としての心が成長する様、大学生としての知的成長、それらをすべてジェルーシャの手紙によって読み取ることが出来る。一人の女性が劣等感の渦の中から人としての自立を勝ち取っていく目覚しい成長過程は10歳そこそこの私には理解できなかった。あしながおじさんとの駆け引きの面白さも、大人のお話。

名作といわれて読んでいない本はまだたくさんある。「あしながおじさん」と幸せな再会が出来て良かった。今度は何を読もうかな。

2008年9月27日土曜日

「グロテスク」 桐野夏生

東電OL事件を題材にした小説。
怖いもの見たさで、いつか読みたいと思っていたが、なかなか勇気が出なかった。
米原万里さんの書評を読んで、手に取る気になったのだが。

最初の数ページで後悔した。これでもか、これでもか、と悪意に満ちた文章の止まるところのない表出に辟易しながらやめることができなかった。厚い上下巻なのに結局2日で読んでしまった。そこまで私をひき付けたのはもはや「事件」に対する興味ではなかった。小説の「悪意」の中に自分のある部分を見せ付けられたからだ。他人事の悪意ではない。自分の中にある差別意識、優越感、劣等感、それらに目覚めた思春期のころからこのかた私を苦しめ、反省もさせ、それでも払拭しきれていない業のような負の感情をクローズアップして見せてくれたからだ。

心の中にあるまがまがしいものを言語化して引きずり出す、作者の力に恐れを感じる。

お子さんを私学へ入れないの?と聞かれるたびに。心の中で「無用な優越感を持つ人間になってほしくないから、エリート私学へは行かせないの」と思っていたが、私の想像以上にQ女子高内の階級社会は凄まじいのかもしれない。

名古屋の名門私学T高校へ息子さんを入れている友人の言葉が現実味を帯びて思い出される。「私はT高校に息子を入れて、勉強面でも人としての成長と言う点でも、高校が良い教育をしているなんて、これっぽちも思ったことはないよ。頭のいい生徒ばかり集めて、学校以外に塾や家庭教師をつけている子がほとんどだから偏差値の高い大学に入って当たり前だし、あそこは親も、子も、異常なエリート意識に固まったおかしなのが多いから、いろんな面でゆがんだ学校。自殺も、いじめも、新聞に載らない様々な事件も多いんだよ。」と。彼女は同居する義母の強い勧めでT高校へ息子を入れたことを後悔していた。

差別することなく、差別されることもない、そんな社会はどこにもないかもしれない。しかし、私は子供たちに、自分の中の差別意識を常に見つめ、内省できる人間に育ってほしい。

「グロテスク」は、この競争社会に生まれる様々な差別に心を支配され、熾烈な戦いに挑み、そこから抜け出すために自爆した人達の墓標のような小説だ。これほどまでに後味の悪い小説はない。が、どろどろの中に何か確かなものを掴んだような気がする。それが何か、私の拙い作文では書ききれない。

作者に敬意を表する。

2008年9月25日木曜日

「心療内科を訪ねて~心が痛み、心が治す~」夏樹静子

交通事故で腕を失った人が、存在しないはずの腕の痛みに悩むという幽霊のような症例があると聞いたことがある。そんな時は、ない腕があるのだと脳に勘違いさせて、その腕を治療したと思わせることで痛みが消えるのだそうだ。(以前読んだ「脳は奇跡を起こす」にかいてあったこと。)

脳の不思議。

体も脳も、どちらも紛れもない「自分」なのに、脳が体を裏切ったり、体が脳を苦しめる。体が感じる自分と脳が主張する自分の矛盾。
体は悪くないのに、脳が病気を作り出す。痛みを作り出す。それを治療するのが心療内科の仕事だという。

私にも覚えがある。子供のことで悩んでいた時、私は潰瘍性大腸炎に罹患した。病気の悩みは、子供のことで悩む時間を減らしてくれた。脳が無意識のうちに、私の心の悩みにフィルターをかけようとしたのかもしれない。
最近は、呼吸がし辛くて、肺に何か病気があるのではないかと心配になって呼吸器科の検査をしたが、問題なしと診断されたとたん、治ってしまった。よくよく考えてみると、PTAの人間関係で四六時中悩んでいた。

いいかげんでいいんだ、と思えるようになること、心に問題があるのだと自覚することが、心因性の病の砂漠から抜け出す鍵となるらしい。私は神経質だが、結構いい加減なところがあるので重症化しないのかもしれない。心の持ちようを自分の力でコントロールすることは難しそうだが、ポジティブに、何でも悪いところには眼を半分つむり、良い点はしっかり受け止めることが大切だとつくづく思う。

2008年9月16日火曜日

「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」  奥田英明

この2冊もKのお薦め。

面白くて一気に読んでしまう。登場人物たちのこだわりの病は決して人事でない、私の周りには可笑しな人って多いなと思う。基本的に私は相手にとことん嫌われなければ、人を嫌いにならないタイプ。変な人でも外れた人でも、私にも変人っぽいところがあると十分自覚しているせいか、いいんじゃない?と思う。むしろ変なところを楽しんでしまう癖がある。私の魅力は世間とずれた部分、なんちゃって。

心にこだわりの種を持つ患者たちが右往左往して悩みまくり、それを治療する医者が輪をかけて変人で混乱をより過激に導き、結局患者を癒して心の安定を取り戻させる物語。登場人物一人一人にたいする作者の温かいまなざしが嬉しくなる2冊。私と同様Kも人物の描き方に癒されているのではないか?作品の疾走感も心地よい。続編読みたい。

Kの教えてくれる本を心待ちにするこの頃。息子と同じ本を読んで感想を言い合える喜びを与えてくれたドーマン研究所に心から感謝している。

2008年9月10日水曜日

「脳を活かす勉強法」  茂木健一郎

鶴の恩返し勉強法、瞬間集中法などなど、確かにその通り。勉強が楽しくて仕方のなかった中学生の頃、茂木さんの仰る方法でがむしゃらに勉強していたことを思い出した。

デモ、高校に入って、急に勉強が味気ないものになってしまった。最初のテストで信じられないような悪い点を取って自信を喪失し、大学受験がプレッシャーになって勉強を楽しいと思えなくなってしまった〈気の弱い私〉。

負の意識を持った人にこの方法を説いても無理じゃないかな。私があの状況から抜け出すには、勉強は他との競争のためでなく、自己実現のために必要なのだ、と心の底から実感できるまで、長い時間が必要だった。勉強を楽しいと思える人は、勉強法なんて経験から知っているのよ。

2008年9月9日火曜日

「打ちのめされるようなすごい本」  米原万里

 宝の山だ。毎週日曜日の一番の楽しみは新聞読書欄から面白そうな本を探すこと。そんな私にとって盆と正月がまとめて来たような本を手に入れた。

以前から気にはなっていたが、図書館で借りる類の本ではないし、狭い我が家でここ数年本を増やすことを罪悪のように感じていたし、もはやハードカバー500ページの本すら入れるスペースのないぎゅうぎゅう詰めの書棚と相談しつつ、ようやく購入したわけ。

米原さんの興味は多方面に及び、どの分野も涎が出そうな本ばかり。老眼を迎える前に出合いたかったと愚痴っても仕方がない。かたっぱしから読むことにしよう。

それにしても、米原さんはどうして私の好きなことがわかるのだろう?なーんてね、教養の差は月とすっぽん。だけど読みたいと渇望する自分の心が嬉しい。

2008年9月8日月曜日

「幽霊人命救助隊」  高野和明著

 高2の甥っ子S君が面白い本だとKに薦めたと聞いて、今日日の高校生はどんな本を読んでいるのかいな?という興味半分で読み始めた。

 自死した4人が神の命により現世の自殺志願者たちを救う物語は、劇画のような軽さですいすい読み進められる。文庫で600ページ近くある。5分の1程度読んだ時、このまま最後までこの調子で、100人救う目標達成に向かって同じテンポで進むのか、と思うと何か芸がないような、肩透かしのような気もした。

 しかし、自殺志願者一人一人を救うため、かれらの悩みを理解しようとする主人公たちの奮闘振りを読んでいて、はたと気が付いた。作者はあまたの自殺者たちの悩みをこれでもか、これでもか、と広げて見せながら、その悩みの一つ一つに対して、シンデハイケナイ、シンデモウカバレナイ、イノチハアタエラレタブンダケウケトレ、とくどいほど丁寧にメッセージを発しているのだ。600ページの長さは、自殺予備軍の人たちに翻意を促す説得と考えれば、作者にとって、必要最小限の長さに違いない。作者の志は善し。話も面白い。現代の病理を的確に描いている点も共感できる。そう考え始めてからは、設定のゆるさや荒唐無稽さも気にならず、怒涛のようにクライマックスまで読み進めた。

最後の一人の救出は、泣けた。作者のメッセージの勝利だ。

 この世の闇(病み)を煩っているのは、自殺しようとしている人たちではなくて、生き辛くしている社会、その歯車を動かしている私たちではないか、ということに気づかない限り、自殺者年間3万人という日本社会の恐るべき数字の説明はつかないと思う。

この作品、中高生だけに読ませるのはもったいない。

2008年9月4日木曜日

「すべては音楽から生まれる」  茂木健一郎著

Kが買ってきた本だ。彼がこのような本を自ら買って読み始めるとは、6年前には想像も出来なかった。

私が読みたいと思う本を不思議なことに選んでくる。親子だな。趣味や興味も重なる部分が多い。

以前「クオリア降臨」で読んだ茂木さんの「クオリア」の概念が、この本にも出てくるが、そのとき漠然としていたことが1年たった今よく理解できる(ような気がする)。

35年前の「ペトリューシュカ」。父が買ってきたバーンスタインの1枚は、1週間の間、私には不可解な音の、断片的な集まりにすぎなかった。それがある日ある瞬間を境に、はっきりと旋律の重なりが意味をもって迫ってきた。あの時の驚きと喜びを今でもはっきりと覚えている。脳の中では何が起こっていたのだろう?ごろごろ転がっていたあまたの石ころから突然光が四方に広がり、脳は狂喜した。
「お父さん、判ったよ」と興奮して語った私を見る父の優しい目を思い出す。

映画を観たり、本を読んだり、様々な芸術作品を鑑賞する行動は、すべてあのペトリューシュカのような衝撃を再び脳に与えたいが為かもしれない。一生のうち、そんな幸せな出会いをいくつ経験できるだろう。

あの瞬間、世の中の風景が変わったような気がした。