父は、自宅からがんセンターに戻って程なく鼻からの酸素吸入を欠かせないようになった。そして、同時に、無口になった
トイレに行くのもゆっくりと休み休みだったのが、次第に立てなくなり、ベッドの上に体を起こすのさえ辛そうだった。話をすると呼吸が荒くなる。更に進むと、物を考えるだけで呼吸が苦しくなるようだった。
脳は大量に酸素を消費すると聞いていたが、父をみていて、それがほんとうによくわかった。
研究者で、思考するのが商売のような人なのに、どんなに辛かったことだろう。
私がしゃべりかける声、それを聞くだけで父の脳は働き始め、呼吸が苦しくなる。そんな時父は、もうやめなさい、苦しいのだ、と目で合図する。
それに気づいてから、私はお喋りもしないで、ただ父の傍に座っていることにした。
そんな私を見て、「帰れ」。
子供たちもいるのだから、もう帰れ。お前はここにいても何もならんぞ、と目で訴える。
一宮の私の家から病院まで約1時間と少し。 それがとても遠く感じた。
あんな状態になっても、父は死と戦い続けた。諦めることを拒み、細く細く細く、命を燃やし続けた。
父は大変な精神力を持っていたと、改めて知った。
がんセンターに再入院してから1ヶ月。別れの時が近づいていた。
2009年7月23日木曜日
2009年7月21日火曜日
母のこと
久しぶりに母の事を書こう。
半年前、自分の脳が壊れ始めていることを自覚してしまう今が、母にとって一番辛い時期なのでは、と思ったが、その状態は今も続いている。しかも、壊れ方に加速度がついてきたように感じる。
先日、青ざめて思いつめた顔で母はやってくると、孫たちに酷い目に合わされたと私に訴えた。台所の天袋に入れてあった品物がみな流し台に下ろされていたという。あの子たちには憎まれ口一つ言ったことはないし、嫌がられることなど何もしてこなかったのに、どうして私はこんな辛い目に遭わせられなければならないの?と涙を溜めて訴える。声は震え、悔しさと憤りのやり場がない様子である。
私は、「本当にひどい子たちですね、お母さんごめんなさい。よく言って聞かせますから。」と言うべきなのかもしれない。しかし、私にはそれが言えなかった。
「あの子達はお母さんの事が大好きで、とても大切に思っていますよ、お母さんを困らせるようなことはしませんから、安心してくださいね。お兄ちゃんは大学から帰ってすぐ夕食をかき込んで、バイトへ走って行ったのをお母さんも一緒に見ていたでしょ?妹は風邪を引いて今日一日こちらの2階で寝ていたではありませんか。二人ともそんなことをする状況にはありませんでしたよ。 」
そう言うと、母はきつい目をして私を見つめ、「なら誰がやったというの?」と私に問う。
私は言うべきではなかったことを言ってしまった。すなわち、「誰も、お母さんを苛めたり悪さをしたりすることはないのよ。家族皆お母さんの事が大好きなの。誰も悪くないの。だから、誰がやったなんて考えるのは止しましょうね。昨日見つかった化粧品のポーチも、お兄ちゃんが隠したとお母さんはずっと言っていたけど、今どこにありますか?覚えていないでしょ?自分でやったことを覚えていないのだから、しかたがないことなのよ」と
母は、ぼうっと私の顔を眺めていたが、よろよろと腰を上げ、小さな声で「わかりました」と言うと、部屋を出て行った。
15分ほど後に、母が廊下の壁で体を支えながらやってくると、涙をいっぱい溜めた目で「ごめんなさい。私は自分がこんなに物忘れが酷くなっているとは今まで気が付かなかったの。ごめんなさい。これからは本当にあなたに苦労をかけるわね」とようやくそれだけ言うと、ハンカチで目を押えた。私は母の肩を抱いて「謝らないで、お母さん、私こそ、しっかりと支えてあげられなくてごめんなさい」と言った。「こんなことになるなんて、こんなことになるなんて」とつぶやく母に、私は「順番ですよ、私やあなたの息子も、いずれ同じ路を歩くのですから」とかろうじて答えるしかなかった。
慈しみ、可愛がった孫たちに物を隠されたり捨てられたり嫌がらせされると誤解して悲しむ心。脳が急速に壊れ始めていると自覚してしまう恐怖。私が母の立場なら、耐えられるだろうか?
半年前、自分の脳が壊れ始めていることを自覚してしまう今が、母にとって一番辛い時期なのでは、と思ったが、その状態は今も続いている。しかも、壊れ方に加速度がついてきたように感じる。
先日、青ざめて思いつめた顔で母はやってくると、孫たちに酷い目に合わされたと私に訴えた。台所の天袋に入れてあった品物がみな流し台に下ろされていたという。あの子たちには憎まれ口一つ言ったことはないし、嫌がられることなど何もしてこなかったのに、どうして私はこんな辛い目に遭わせられなければならないの?と涙を溜めて訴える。声は震え、悔しさと憤りのやり場がない様子である。
私は、「本当にひどい子たちですね、お母さんごめんなさい。よく言って聞かせますから。」と言うべきなのかもしれない。しかし、私にはそれが言えなかった。
「あの子達はお母さんの事が大好きで、とても大切に思っていますよ、お母さんを困らせるようなことはしませんから、安心してくださいね。お兄ちゃんは大学から帰ってすぐ夕食をかき込んで、バイトへ走って行ったのをお母さんも一緒に見ていたでしょ?妹は風邪を引いて今日一日こちらの2階で寝ていたではありませんか。二人ともそんなことをする状況にはありませんでしたよ。 」
そう言うと、母はきつい目をして私を見つめ、「なら誰がやったというの?」と私に問う。
私は言うべきではなかったことを言ってしまった。すなわち、「誰も、お母さんを苛めたり悪さをしたりすることはないのよ。家族皆お母さんの事が大好きなの。誰も悪くないの。だから、誰がやったなんて考えるのは止しましょうね。昨日見つかった化粧品のポーチも、お兄ちゃんが隠したとお母さんはずっと言っていたけど、今どこにありますか?覚えていないでしょ?自分でやったことを覚えていないのだから、しかたがないことなのよ」と
母は、ぼうっと私の顔を眺めていたが、よろよろと腰を上げ、小さな声で「わかりました」と言うと、部屋を出て行った。
15分ほど後に、母が廊下の壁で体を支えながらやってくると、涙をいっぱい溜めた目で「ごめんなさい。私は自分がこんなに物忘れが酷くなっているとは今まで気が付かなかったの。ごめんなさい。これからは本当にあなたに苦労をかけるわね」とようやくそれだけ言うと、ハンカチで目を押えた。私は母の肩を抱いて「謝らないで、お母さん、私こそ、しっかりと支えてあげられなくてごめんなさい」と言った。「こんなことになるなんて、こんなことになるなんて」とつぶやく母に、私は「順番ですよ、私やあなたの息子も、いずれ同じ路を歩くのですから」とかろうじて答えるしかなかった。
慈しみ、可愛がった孫たちに物を隠されたり捨てられたり嫌がらせされると誤解して悲しむ心。脳が急速に壊れ始めていると自覚してしまう恐怖。私が母の立場なら、耐えられるだろうか?
2009年7月19日日曜日
ストレス溜まっていますか?
7月19日(土)
久しぶりに名古屋の友人とランチ。約束の時間を30分も間違えて、しかも携帯を家に忘れてくるという大失態。申し訳ないことをしてしまった。
場所は瑞穂区のフレンチレストラン「ビストロラパン」。量がたっぷり多いので、お値打ち感がある。
2千円のすべて食べるランチ。でも、ややお味に繊細さが欠けるかな。
落ち着いた雰囲気で楽しくお喋りできて幸せ、なのだが、1人でなにやらしゃべりまくっていたような・・・。
やはりストレスを解消する為に、早くドラム教室に電話しよう。
久しぶりに名古屋の友人とランチ。約束の時間を30分も間違えて、しかも携帯を家に忘れてくるという大失態。申し訳ないことをしてしまった。
場所は瑞穂区のフレンチレストラン「ビストロラパン」。量がたっぷり多いので、お値打ち感がある。
2千円のすべて食べるランチ。でも、ややお味に繊細さが欠けるかな。
落ち着いた雰囲気で楽しくお喋りできて幸せ、なのだが、1人でなにやらしゃべりまくっていたような・・・。
やはりストレスを解消する為に、早くドラム教室に電話しよう。
2009年7月7日火曜日
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