2011年3月30日水曜日

発表会終わる

ミュージックスクールの発表会が3月27日に行われた。演奏はTOTOの“WHITE SISTER”

緊張した。というのも、今年は子供たちや 連合い、そして友人たちまで呼んでしまったので、母だけ来てくれた去年よりずっと怖かった。

最初は硬かったのだが、途中で失敗してから却って気持ちが吹っ切れて、力を抜いた楽しいプレイができたと思う。みんなと一つになれた気分がとても心地よかった。きっと聞いている人も楽しめたと思う。自分としては80点くらいの出来かな。

演奏が終わって舞台を引けるとき、大御所のN先生がすれ違いざまにニコニコ笑って「素晴らしい」と声をかけてくださって、舞い上がるほど嬉しかった。師匠のI先生は、「迫力あってよかったよ。今までで一番良くできたんじゃない」と言ってくださる。師匠のおかげですよ。ありがとうございました。

残念ながら人気投票では1等になれず、アンコール曲“I’LL SUPPLY THE LOVE” はお蔵入りになってしまったが、ドラムを始めて1年半でTOTOを演奏できたことに自分でも驚いている。さて、来年はどこまでできるようになっているのだろうか。できればFOCUS の曲を叩けるように腕を磨きたい。基礎練習するぞ。

2011年3月25日金曜日

東北関東大震災

今、愛知に住む私に何ができるのか。

知り続けること。被災者の現状を継続して知り続ける。そして常にできることを内省する。発信する。

買占めに走らない。

家の電気消費量を少なくとも今までの3分の2以下に抑える。
日本全体の電力の3分の1が原発によるものというなら、原発分を使わないという意思表示。

今、日本のあり方を変える大きな転換期に来ていると思う。この未曾有の被害を受けた方々の犠牲を無駄にしないために、日本の形を、この機会に大企業重視から個々の国民重視に変えていきたい。

被災者の生活を立て直すためという限定で、時限立法による消費税徴収くらいはやらないと、間に合わないのでは?
大企業を助けるための消費税には絶対反対でしたが。

反原発の市民団体の活動に協力しよう。

2011年3月10日木曜日

TOTO 名古屋公演 チケット到着!

今日、待ちに待ったTOTO ツアー 名古屋のチケットが届く。
大阪のアルカイックホールはそこそこの席だったので、名古屋は良い席だといいな、と期待に胸膨らませてチケットをを見ると、「ひ」席。

古いホールだからアルファベットでなく、あいうえお順か。それにしても「ひ」とは・・・・
がっくりして名古屋市公会堂のHPで座席見取り図を見て、絶句しましたわ。

なんと、後ろから2列目の席。いろいろコンサート行ったけど、こんな席初めて。
先行予約って、なによーお。もう、あったまくる。ひどーい。ひどすぎる。
これでは双眼鏡を持っていかなくてはサイモン・フィリップス様が見られないではありませんか。

大阪公演に期待しよう。

2011年3月1日火曜日

久しぶりに母のこと

昨年末から1ヶ月あまり、母の体調が悪くて、閉尿と下痢に悩まされたのが嘘のように、ここ数ヶ月は体調が良さそうで、私も楽をさせてもらっている。

何が楽かって、お洗濯の回数が違う。下痢がひどいときは毎日のように衣類を上から下まで全て、何セットも洗わなければならなかったし、使うタオルの量も半端じゃなかった。シャワーも、ひどいときは1日に4回くらい使って下半身を洗っていたから、今思い出してもぞっとする。

母がトイレで「大」をしたことに気づかないと、最悪のときは汚物の着いた紙パンツを手でむしってばらばらにして、部屋のあちらこちらに隠してしまうし、紙パンツの中の粉状のポリマーが汚物とともに室内やトイレに散乱して髪が逆立つような恐怖を感じたものだ。掃除をしていて、やり場のない憤りと悲しみに押しつぶされそうになった。 母がトイレに行かないか、いつも見張っていなければならず、頭がおかしくなりそうだった。下痢のときは、トイレに行くたびにパンツを代えて、お尻を洗わなければならなかった。今は下痢も治ったし、トイレにセンサーを設置したので、そのような苦労はなくなった。母の健康と文明の利器、万歳!!だ。

粗相をしてしまったときは、母は呆然と立ち尽くしている。自分でもどうしていいかわからず、混乱して我を忘れているのだろう。一緒に泣きたくなる。これが実母なら、もっと、もっと悲しいのだろうか?申し訳ないが、自分を生んだ人ではない、というスイッチが私の心の中で押されていて、変わり果てた母を見るのは悲しく悔しいのだが、どこか諦めて突き放した気持ちの私がいる。愛情が足りないのかなあ。

とりあえず、土日祝日以外はデイサービスのお世話になっているので、9時30分から夕方4時まで、私は家を閉めて仕事に行くこともできる。夕食後、母に入浴してもらってから、家を抜け出してドラムを叩きに行くこともできる。たまの土日には好きな映画を見に行くこともできる。介護制度はいろいろ問題もあるが、利用者にとって、ないとあるとでは大違いで大変ありがたい。この制度がなかったら、私は壊れていたかもしれない。

母は今日、自分の名前が言えなかった。2ヶ月前までは覚えていたのに。