2009年8月29日土曜日

奥能登へ

草津温泉から帰って、翌日は5時半に起きて奥能登、珠洲市へ。
親戚の不幸で、お葬式に参列するため。
亡くなった奥様も、そしてご主人も、娘さんも、とても素敵な方たちなので、是非彼らが生まれ育った地を見せていただきたかった。
こんな辛いことで、それが実現してしまうのは悲しいのだが、想像した以上に心安らぐ素敵な場所だった。

それなのに、かの地は若者の流出と産業の不足に喘いでいるという。
人々が自らの生まれ育った地に誇りをもって、安心して生きていけるようにするのは政治の責任だが、それが破壊される方向へ数十年来転がり続けている。

今日は投票日。
奥能登で出会った純朴な人情味溢れた人たちが、選挙の話をして、今度は変えなくては、と口々に言うのを聞くと、確かに今回、情勢は動くかもしれない、と思う。
しかし、有権者がどこまで監視の目を持ち続け、要求し続けるか、で改革の質は大きく変わる。選挙だけで終わらせてはならない。

草津夏期国際音楽フェスティバル

22日、23日と草津温泉へ。
毎年恒例の草津国際音楽祭を聴くためだが、つれあいの仕事の都合で1泊しかできないのが残念。
今回聴けたのは「ヨーゼフ・ハイドンの室内楽」。
耳に心地よい、極上のBGM。皇帝の朝食の際の音楽として作曲されたという曲の数々。
信じられない曲数を生み出しながら、どれ一つとして似ていない。
しかも、名曲ぞろい。
ハイドンは天才です。とは事務局長のお言葉。

ロビーでお土産を買うのも音楽祭のお楽しみの一つ。
今年も記念のワインとオリーブオイルを買う。記念のTシャツも。

夜は現地集合した仲間たちと飲みに、ナウ・リゾートホテルへ。
そうそう、ナウ・リゾートの温泉に初めて入ったのだが、真湯と書いた浴槽があって、友達と、せっかく温泉にはいったんだから、真湯で成分を流しちゃったらもったいないね、とそのまま出てきたのだが、右足のむこうずねが痒くなって温泉負けしてしまった。
湯畑の湯よりきついというのは本当だった。
今日は29日だが、まだ痒くて、書き崩した痕が残っている。

お泊りは今年も「田島屋旅館」さん。
とても古くて趣のある宿。
土産物屋さんも営んでみえて、そこの七味唐辛子と各種漬物、温泉饅頭がとてもおいしい。

翌日は「嫗仙の滝」へ足をのばす。
宿から滝入口まで40分ほど歩く。入口から滝壺まで20分、ずっと下り続きで、膝が痛まないか心配になるがなんとか持つ。
入口の杖を借りてきて正解だった。

滝は写真の通り、岩肌が赤く染まっていて美しい。
水に温泉の成分が含まれているからという。
帰りは登りだが、膝には登りの方が楽。
痛めていた膝を悪化させることなく往復できてほっとする。

2009年8月19日水曜日

映画「湖のほとりで」

イタリア映画
アンドレア・モライヨーリ監督 サンドロ・ペトラーリア脚本

「真実は深く そして美しく 眠っている」

可愛らしい子供が誘拐されたか、というおぞましい始まりから、物事は良くない方向へひたすら転がる。
殺人が連想させる人の心の不可解さとは裏腹に、風景はあくまで静かで美しい。
謎解きのようであって、実は人の心の弱さ、強さ、もろさ、したたかさが描かれる。そして最後に美しさと悲しさと安らぎが泉のように湧き出でてくる。

巧みなストーリー展開にひきこまれ、世界が反転して優しい気持ちになったところで、ああ、心を掴まれちゃった、と気づく。

魅力的な映画との幸せな出会いでした。

ドラム超初心者

ポカーロタイプのドラムスティックを買って、はや12日。毎日30分、ぶっ続けで電話帳をメトロノームに合わせて叩いている。

最初の3日間ほどはわけもわからず闇雲に叩くのみ。左手が酷くぶれることに気づいて、いろいろ工夫していたら、力を抜くことでぶれなくなってきた。肘や手首に余分な力がかからなくなってきたような気がする。

それにしても、リズムを取るのがこんなに難しいとは知らなかった。自分の体の中にリズムを取り込もうと体を揺らすと、その余分な動きが手に伝わって、ずれる。かといって直立不動で叩いていると、体がむずむずしておかしなエコーが生じ、ずれる。

たかだか1週間ちょっとで何がどうなるわけではなかろうが、これからの道のりを考えると楽しくも恐ろしい。

肩凝った。幸せ。

2009年8月18日火曜日

「差別と日本人」 野中広務 辛淑玉

書物を紐解いて、自らの無知を思い知らされる。新しい知識やものの見方、考え方に触れて幸せな気分になるのが読書の大きな楽しみだが、今回は違う。この書を一気に読み終え、ため息とともに閉じたとき、自分の無知と慢心を呪いたくなった。当事者でなければ語れないことが鋭くも正鵠を得た言葉でストレートにとびこんでくる。

私は50に手が届くまで生きていて、日本の社会の暗部や差別的な考え方など一通り以上の興味を持って生きてきたと思い込んでいた。 部落差別は、もう終っていることにしなければ終らないと思っていた。私は差別者としての当事者、無自覚な差別者の1人だったと気づかされた。
無知が人を傷つける。私もその1人にはなりたくない。知らなければならないことはまだまだたくさんある。

もう一つの誤認。
私は今まで、政治は野党を育てることでしか変わらないと思っていた。野中さんのような政治家が与党に存在したとは。与党内の筋の通った勢力を支えることで日本の政治が変わっていく可能性があると認めざるを得ない。しかし、与党内に野中さんと志を同じくする人はどれだけいるのだろうか? ?

また、野中さんご自身が認めていらっしゃるように、彼は法案を通すために強い毒をもつ餌を抱き合わせていることが多い。彼が努力して推し進めた法案の数々は今後も功罪を検証して行かねばならないだろう。彼は共産党を嫌う理由を述べてはいないが、妥協を拒み、あるべき最高のものしか認めない所謂「何でも反対」の共産党の姿勢が、野中さんのように一歩でも進むために他で妥協してじりじり前進するやり方とは相容れないからではないだろうか。しかし、私たちのような素人に野中氏の法案の何が前進で、何が毒なのかを知らせるために必要な知識を提供する役割は必要。

骨太の2人の力強さと、人としての魅力と、強さゆえの寂しさを知って、静かな勇気が湧いてきた。
つれあいにも一読を薦めよう。

2009年8月7日金曜日

ドラムスクール初日

先々週、ドラムの体験教室を訪問した。
初めて間近に見るドラムセット。
座ると胸が高鳴った。
上手くなるかどうかは努力次第。
こんな気持ちになるなら、もう進むしかないじゃありませんか。
あと2週間で50に手が届いてしまう私だからこそ、今、全く新しいことに挑戦してみたい。
どこまでたどり着けるか、とにかく楽しもう。