2009年7月21日火曜日

母のこと

久しぶりに母の事を書こう。
半年前、自分の脳が壊れ始めていることを自覚してしまう今が、母にとって一番辛い時期なのでは、と思ったが、その状態は今も続いている。しかも、壊れ方に加速度がついてきたように感じる。

先日、青ざめて思いつめた顔で母はやってくると、孫たちに酷い目に合わされたと私に訴えた。台所の天袋に入れてあった品物がみな流し台に下ろされていたという。あの子たちには憎まれ口一つ言ったことはないし、嫌がられることなど何もしてこなかったのに、どうして私はこんな辛い目に遭わせられなければならないの?と涙を溜めて訴える。声は震え、悔しさと憤りのやり場がない様子である。

私は、「本当にひどい子たちですね、お母さんごめんなさい。よく言って聞かせますから。」と言うべきなのかもしれない。しかし、私にはそれが言えなかった。

「あの子達はお母さんの事が大好きで、とても大切に思っていますよ、お母さんを困らせるようなことはしませんから、安心してくださいね。お兄ちゃんは大学から帰ってすぐ夕食をかき込んで、バイトへ走って行ったのをお母さんも一緒に見ていたでしょ?妹は風邪を引いて今日一日こちらの2階で寝ていたではありませんか。二人ともそんなことをする状況にはありませんでしたよ。 」
そう言うと、母はきつい目をして私を見つめ、「なら誰がやったというの?」と私に問う。

私は言うべきではなかったことを言ってしまった。すなわち、「誰も、お母さんを苛めたり悪さをしたりすることはないのよ。家族皆お母さんの事が大好きなの。誰も悪くないの。だから、誰がやったなんて考えるのは止しましょうね。昨日見つかった化粧品のポーチも、お兄ちゃんが隠したとお母さんはずっと言っていたけど、今どこにありますか?覚えていないでしょ?自分でやったことを覚えていないのだから、しかたがないことなのよ」と
母は、ぼうっと私の顔を眺めていたが、よろよろと腰を上げ、小さな声で「わかりました」と言うと、部屋を出て行った。

15分ほど後に、母が廊下の壁で体を支えながらやってくると、涙をいっぱい溜めた目で「ごめんなさい。私は自分がこんなに物忘れが酷くなっているとは今まで気が付かなかったの。ごめんなさい。これからは本当にあなたに苦労をかけるわね」とようやくそれだけ言うと、ハンカチで目を押えた。私は母の肩を抱いて「謝らないで、お母さん、私こそ、しっかりと支えてあげられなくてごめんなさい」と言った。「こんなことになるなんて、こんなことになるなんて」とつぶやく母に、私は「順番ですよ、私やあなたの息子も、いずれ同じ路を歩くのですから」とかろうじて答えるしかなかった。
慈しみ、可愛がった孫たちに物を隠されたり捨てられたり嫌がらせされると誤解して悲しむ心。脳が急速に壊れ始めていると自覚してしまう恐怖。私が母の立場なら、耐えられるだろうか?

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