2009年1月31日土曜日

毎日かあさん 西原理恵子

 「毎日かあさん カニ母編」を読んでいたら子供を授かったその日の事が思い出されてきた。

 Aの時もIのときも一宮市民病院で産んだのだが、出産の後の風景はどちらも鮮明に覚えている。

 深夜に出産して、体はボロボロに疲労して雑巾みたいにふにゃふにゃなのに、心はキーンと雪山のてっぺんの空気のように静かで冴え渡っていた。ものすごい緊張と弛緩の狭間で精神が尋常でない場所に登っているんだ、とわかっていた。その心で病院の広い窓から夜明け前の青黒い空を見上げていた。まだ明るくなる前の、仄かに空気が変わってきたとしかわからないくらい大気の色が変化して、空を鳥が横切るのがみえる。雲が少しずつ形をなしてくる。刻々と変化する空の色を眺めながら、子供をこの世に産み落とすとは、どういうことだろう、と考え続けていた。それは確かに私も自然の1部であることを否応なく実感させる行いだった。医者や助産婦さんに助けてもらいはしたが、私は私の力で子供を産み落とした。うんこみたいに、自然に、あたりまえに。

 出産の後に訪れた精神状態をもう一度経験できるなら、私は何度でも子供を産みたいと思う。
自然の大きなうねりの中で、流れに全てを任せながら、たった一匹の命が、己の持つ自然の力で、もう一匹のさらにちっぽけな命を分化させ、己の未知なる力と大地のエネルギーを体で感じ尽くしたあの時間。

聖なるかな。

家の玄関の鍵を母が外に落としてきたので、怖くて鍵穴から全て取り替えたのが半年前。新しい錠前は複製のきかぬ最新式、ということで予備も入れて5つも鍵を受け取ったのだがそれも半年で全てなくなった。裏口の鍵も2つあったのがなくなって、ようやく先日1つ見つけたので、さすがに鍵なしでは不便だろうと思い、複製を作ったのが昨日のこと。今朝それを母に渡す。夜渡すと、夜のうちにしまい場所を忘れてしまい、またKが盗ったことになってしまうから。それなのに昼過ぎ、どこにしまったかわからなくなった、と仰る。もう一つ、作ってきて、と。鍵1個複製代525円だけど、このハイペースでは・・・。
鍵代を払おうとするので、お預かりしているお母さんのお金から出させていただくから、いいですよ、と言うと「(私のお金なのに勝手に使えて)いいわね」だって。誰のためにこんな面倒くさいことをしているのよ!お預かりしていても、私のお金じゃないんだからね!と心の底で言い返したが、母の気持ちになってみれば、自分の物を自分で管理できない無念と不信はさぞ悔しいものだろうと思い、心を鎮める。顔ではニコニコして、何を言われても笑顔でいることにしているが、その分心の中で毒づいたり言い返したりすることが増えてきた。性格悪くなりそう。

2009年1月28日水曜日

だれも守ってくれない 

君塚良一という名を初めて知った。後で調べたら「踊る大捜査線」の監督だった。あのすべりの滑らかさ、心地よい台詞の流れ、日本映画っぽくない場面展開がなるほど、あの同じ監督か、と思った。日本映画って間延びした感じのが多いじゃない。それがない。常に適度な緊張感があって、時間あわせを感じさせない。エンターテインメントなのに、確かな社会的視点を持っている。

S事件を思い出した。犯行当時未成年だった少年をいつまでも追い続けるマスコミ、家族の消息まで知りたがる私たち。

自分だけはなるはずがないとだれもが思っている立場に思いをやる、視点の確かさ。
最優秀脚本賞を受けるのも頷ける。

2009年1月23日金曜日

どうしたらよいのか?

母は家族の中で尊敬され、愛され、太陽のような存在だった。アルツハイマーの症状が進む前は。今、母は物がなくなることに戸惑い、家族を疑い、毎日少しづつ進む症状に脅えて暮らしている。物がなくなると「恐ろしい世の中になったわね」と静かにつぶやく。「どうしてこんなに色々なことが出来なくなってしまったのかしら、老いると言うことは、こういうことなのね。」とつぶやく。何より大切にしていた家族を疑い、自分の老いがあまりに急速に進むことをなすすべもなく見つめている。自分の脳が変調をきたしていることは、気づいているが、その理由は知らない。私たちも医者も、何も言わないから。

つれあいに、あなたなら、アルツハイマーと診断されたら黙っていて欲しい?教えて欲しい?と聞くと、それは教えて欲しいよ、と即答した。私もそう思う。残された時間を知り、出来ることをしておきたいと思うから。しかし、そんな私たちが、母には何も言えない。物がなくなるのは病気のせいで、家族がばかにしたり意地悪しているわけじゃないのよ、と教えてあげたい。今も、以前と同じように母のことを大切に思っているし、愛しているのよ、と言ってあげたい。しかし、進行の早い不治の病だと知ってしまったら、母は生きる意欲を無くしてしまわないだろうか?人から大切に思われ、その教養と人柄で一目置かれてきた人が、あまりの自分の置かれた残酷な運命に絶望してしまわないだろうか?

伝えることで母が私たち家族への信頼を取りもどし、残された日々をよりよく生きようという気持ちになってくれると判っているなら、ためらいなく告知するが、そんな保障はどこにもない。このまま家族への恨みと絶望をかかえたまま母の病気が進むのを見守るしかないのだろうか?

今日のお母さん

昨日、一時間30分かかって、財布3つ、めがね、玄関のカギ3つ、手帳、印かん1つを探し出した。
玄関のカギを全て無くしてしまい、困っていたので腰をすえて頑張った成果。カギはコピーのできない機種なので、これを無くされたら大変、というわけで、2つは母に内緒で私が預かることに。
詩吟から帰った母にそれらのあり場所を見せて、確認してもらい、場所をもう移さないようにお願いするが、母は自分がそこに置いたのではない、Aがやったことだ、と譲らない。
今朝、仕事に行く前に母がいらして、カギがない、と仰有る。あわてて昨日見つけた場所を探すが、影も形もない。私は動かしていない。Aがまたやったにちがいない、と。仕方がないので、玄関からの出入りは出来ないことにする。昨夜、私がいろいろ探し出してお渡ししたことをもう忘れていらっしゃる。
夕方、仕事から帰った私のもとにいらして、印鑑を出してくれ、と仰有る。Kさん(私)が印鑑を持って、すっと出ていくのを見たのだそうだ。あなたのカバンの中にあるはずだから、返して、と。昨日色々探した時、印鑑2本が引き出しに入れてあったのを確認していたので、そこを開いて見せると、さっき見たときにはなかったから、おかしい。と譲らない。kの次は私を疑うようになったのか、ショック。早くこの状況に慣れなくては。

2009年1月20日火曜日

認知症

 母がKの部屋に入り、寝ているKを起こして、財布やお金を盗るな、こんなことが続いたら家族でも警察に通報するよ、と言ったそうだ。Kはねぼけまなこで黙って聞いていたらしい。

母は後で私のところへ来て、Kが盗んだこと、財布ごと盗られたので困っていることを訴える。とりあえず今日は教会へいく用事があるだけと言うので1,000円と小銭を渡して、財布とバッグに入れるまで見届けようと母の部屋までついていく。そうしないと出かける前に、きっと無くしてしまうから。

最近は、前の日に渡した物が必ず次の日にはなくなっている。きっととんでもないところに隠しているのだろう。それにしても財布が6つ。一体どこにあるのか?お金の入れ物が無くては困るので台所を探してみたが、見当たらない。そうしているうちに「Kをこのまま野放しにしてはいけない」とか、「お金はいくらあっても欲しくなるものだから、Kもそうなのだろう」とか言い始めて、それに合図地を打たず黙って財布を探す私に、怒りをぶつけ始める。机の上の物を両手でブルドーザーのように落とし、どうしてだれも私のことを信じてくれないの!!と体をつっぷして泣き始めた。Kが盗ったのです、ごめんなさいと言ったとしても、財布やお金は出てこないのだから、母の悩みは消えない。結局私たちがKを甘やかして思うままにやらせているのでKは財布やお金を返さないのだと思ってしまう。Kではないですよ、お母さんの孫にそんなことをする子はいませんよ。というと、私の言うことを信じないと言って怒る。話をそらしてごまかすしかないのだが、毎日お金は無くなるので、毎日Kに対する怒りは再生産される。

これ以上事態が進んで母が自殺しないか、Kに危害を加えないか、心配になってくる。

お昼ご飯の時、ご機嫌がなおっていたので少し安心したが、母の苦しみを思うと、切ない。

I診療センターへ行く日

 I診療センターのM先生に会って、母への対処法を聞こうと心に決めていた。1か月に一度の待ちに待った診察日。しかし、先生は母と私と別々に話をするのがご不快だったようで、「今まで一緒だったでしょ?どうして今日は別なのですか?」とお聞きになる。自分でしまいこんで見つからない財布やお金をすべて孫が盗んだと思いこんでしまい、困っているなんてことを、母の前で相談できるはずがないではないか。先生の結論は、対処法なし。何ともなりません、と。面倒臭そうに仰有る。話をする価値もないことか?こういう相談は医者にするな、ということか?挙げ句の果てに1年前の前任の先生による診察を批判し始めた。もう何度この批判を聞くことだろう。そんなことを教えてもらうために病院へ行くのではない。更にアルツハイマーでなく精神病かもしれないとまでおっしゃる。病名が聞きたいのではない。患者の区分を知りたいのではない。今、母にどう対処すれば母の心が穏やかになるか、知りたくて行っているのに。M先生はご自分の仕事を患者の健康管理と薬を出すことだけと決めていらっしゃるようだ。認知症の権威らしいが、尊敬出来る先生ではなさそうだ。残念。
 最後に、次回の診察は一ヶ月後でなく、一ヶ月半後でもいいですよ、だって。

2009年1月18日日曜日

Iとプール

 Iと温水プールへ。先週Mに背泳を教えて、すぐに50メートル泳げるようになり驚いたが、今日は一気に150メートル、クロールとバックで泳ぎきった。やるじゃない。
私は500メートル。若いときよりも泳ぎで疲れないのはなぜだろう?マフェトン理論に基づいたマラソントレーニングをしてきたから?心臓が強くなると体も疲れにくくなるのかしら。

 午後、母と一緒に名鉄デパートへ行って、母の友の会のカードをもらいに行く。友の会に入っていたことは一切覚えていない様子。ダウンコートと化粧品を買って帰る。

2009年1月15日木曜日

MET  マスネ〈タイス〉

母の記憶が翌日まで持たなくなった。以前は1週間は覚えていたが、今は昨日渡したお金が翌朝にはゆくえ不明に。その度に母は孫である私の息子を責める。母の求めるままに謝ったとしても、肝心の財布やお金は出てこない。孫が自分だけをばかにしている、といって嘆き、怒り、道を外してしまった孫の将来を真剣に憂えている。どうしたら母に心安らかに過ごしてもらえるだろうか?

私も疲れがたまっている。そんなに無理して仕事をしているわけではないから、精神的な疲れだと思う。いつも怠くて眠い。今日は以前からの楽しみ、メトロポリタンオペラの映画「タイス」マスネ曲を見に行く日。朝、疲れているので迷ったが、行って良かった。心も体もリフレッシュした。

あらすじはとてもわかりやすい。「魔笛」や「こうもり」のような入り組んだ人間関係はなく、登場人物は少ない。とてもシンプル。だから、主人公たちの歌の力ー表現力と精神性に余計意識は集中する。大変な力量の歌手だ。ルネ・フレミング。自由奔放で投げ遣りな悪女が一夜で心を変え、純粋な聖女と変化する様を歌で見事に表現してみせる。どちらの歌声も魅力的。これこそ神の声“ディーバ”!
 しかし、ストーリーはつっこみどころ満載。タイスを改心させようと決意する神父のアタナエルに対して、憎しみは愛情の裏返しよ!とか、ほっとけないというのは好きになっちゃったのね!などとついヤジりたくなる。愛の反対は憎しみではない、無関心だとはよくいったもの。アタナエルの屈折した愛は、俗世の男や金からタイスを引きはなし、神の花嫁として捧げることに情熱を傾けさせる、しかしアタナエルの望みどおり修道院に入ったタイスは、もはやアタナエルのものではない。この矛盾、哀しみ、滑稽。タイスを改心させるうちに愛してしまったのではない。タイスの存在を知った瞬間から、アタナエルはタイスに道ならぬ恋をしたのだ。実際、修道院へ送り込んでから、焦がれて彼が見る妄想のなかのタイスの姿は、純粋な彼女ではなく、遊女の時の衣装を纏ったタイスではないか。タイスがニシアスから贈られた像をを大切にしていることを知り、キリストの大儀のもと捨てさせようとしたのも、元彼に嫉妬する男のあからさまな感情表出に見えて、思わず笑ってしまった。だからといって、私はアタナエルがキライなのではない。矛盾と弱さと強い愛をもつ、とても魅力的な人間像だ。信者はこの映画を観てキリスト教への皮肉を感じないのだろうか?
 ニシアスの魅力も一言。金満家の人の良いお坊ちゃま。タイスには伝わらなかったが、彼は彼のやり方でタイスを愛しぬいた。去りゆくタイスをひきとめながらも、決意が固いと知ると、送り出してやる。アタナエルの遇し方もお性格のよい坊ちゃま君ぽくて、微笑ましい。
 この劇に悪人は誰一人出てこない。みなそれぞれに魅力をふりまいて、楽しめた。3時間21分、飽きを感じる暇もない至福の時間の流れ。3500円、決して高くアリマセン。

2009年1月4日日曜日

後悔

昨日、デパートのカードが出てきた。なくしていた財布ががどこからか出てきて、その中に入っていたのだ。私が、「ここにあるということは、Kが盗ったのではなかったようですね」と言っても、納得しない様子で、「このカードはあなたが作ってくれて、ここに入れてくれたのではないの?」と。Kが持って行ったということを相変わらず主張する。ここまでこわれてしまったのか、とがく然。

今日は朝からお出かけなので、申し訳ないけど部屋の中を探させてもらうと、Kが盗ったことにされていた黄色い財布が出てきた。母が夕方帰宅してから、一緒に財布を探しましょうと持ちかけて、母を財布の隠れていた茶箪笥に導く。「あ、こんなところにあった」と母が財布を手に取る。中を確認してもらい、お金がなくなっていないことがわかり、ほっとした表情になる。その10分後に、連れ合いがもう一つの財布も見つけた。私は思わず「ここにあって、中身もきちんと入っているということは、どちらの財布もKが盗ったのではないということですね」と言ってしまう。母は「ここにあると言うことは、そういうことね」と言う。悪びれない様子に、私は思わず「とりあえず、出てきてよかったですね。Kのせいじゃないことがわかって、安心しました。」と言ってしまった。

Kのせいじゃないということは、母の物忘れのせいだということで、もちろんそれは事実だけど母が一番認めたくないことであることは確かだ。それから数時間、母の表情は暗かった。

言わなくてもいいことを言ってしまった。
病気のせいなのだから、母が一番つらいのだから、これからは何を言われても否定せず、認めよう。
ばかな私。

2009年1月3日土曜日

お節料理

今年は田作り、酢あえ、数の子、筑前煮、黒豆を作る。黒豆は8時間たっぷり炊いたら、とても上手にできて満足。いつも酸味がきつすぎる酢あえも、ちょうどよいお味付け。田作りはぽきっと口の中で折れる感触がなかなかの出来。筑前煮は少し薄味だけど、お酒のあてにはちょうどよい。というわけで、今年のお節は90点というところか。

黒豆はいつも母が作っていた。今年はどうするのかな?と思っていたら黒豆を買ってきたので、まだまだ意欲があるんだとほっとしていたら、年の瀬もおしせまってから「煮る?」と言って持っていらした。炊き方を忘れてしまわれたのか。

モチも届いた当日に母が切ってしまったので、形がくずれてくっついてしまうし、31日に「早いほうがいいでしょ」とMにお年玉を渡そうとする。時間の観念が崩れてきた?教会へ行くときはスーツの上着の上にもう一枚スーツの上着を羽織っていて驚いた。いっしょに水泳に行っているSさんによると、水着の下に下着をはいたままプールに入ろうとしたり、また、水着が前後ろ逆でかなりおかしな姿をしていたとのこと。
今までは、「ちょっと変かな?」ですんでいたのが、「かなりおかしい」になってきたようだ。私も目が離せなくなってきた。