2011年3月1日火曜日

久しぶりに母のこと

昨年末から1ヶ月あまり、母の体調が悪くて、閉尿と下痢に悩まされたのが嘘のように、ここ数ヶ月は体調が良さそうで、私も楽をさせてもらっている。

何が楽かって、お洗濯の回数が違う。下痢がひどいときは毎日のように衣類を上から下まで全て、何セットも洗わなければならなかったし、使うタオルの量も半端じゃなかった。シャワーも、ひどいときは1日に4回くらい使って下半身を洗っていたから、今思い出してもぞっとする。

母がトイレで「大」をしたことに気づかないと、最悪のときは汚物の着いた紙パンツを手でむしってばらばらにして、部屋のあちらこちらに隠してしまうし、紙パンツの中の粉状のポリマーが汚物とともに室内やトイレに散乱して髪が逆立つような恐怖を感じたものだ。掃除をしていて、やり場のない憤りと悲しみに押しつぶされそうになった。 母がトイレに行かないか、いつも見張っていなければならず、頭がおかしくなりそうだった。下痢のときは、トイレに行くたびにパンツを代えて、お尻を洗わなければならなかった。今は下痢も治ったし、トイレにセンサーを設置したので、そのような苦労はなくなった。母の健康と文明の利器、万歳!!だ。

粗相をしてしまったときは、母は呆然と立ち尽くしている。自分でもどうしていいかわからず、混乱して我を忘れているのだろう。一緒に泣きたくなる。これが実母なら、もっと、もっと悲しいのだろうか?申し訳ないが、自分を生んだ人ではない、というスイッチが私の心の中で押されていて、変わり果てた母を見るのは悲しく悔しいのだが、どこか諦めて突き放した気持ちの私がいる。愛情が足りないのかなあ。

とりあえず、土日祝日以外はデイサービスのお世話になっているので、9時30分から夕方4時まで、私は家を閉めて仕事に行くこともできる。夕食後、母に入浴してもらってから、家を抜け出してドラムを叩きに行くこともできる。たまの土日には好きな映画を見に行くこともできる。介護制度はいろいろ問題もあるが、利用者にとって、ないとあるとでは大違いで大変ありがたい。この制度がなかったら、私は壊れていたかもしれない。

母は今日、自分の名前が言えなかった。2ヶ月前までは覚えていたのに。

0 件のコメント: