2009年8月18日火曜日

「差別と日本人」 野中広務 辛淑玉

書物を紐解いて、自らの無知を思い知らされる。新しい知識やものの見方、考え方に触れて幸せな気分になるのが読書の大きな楽しみだが、今回は違う。この書を一気に読み終え、ため息とともに閉じたとき、自分の無知と慢心を呪いたくなった。当事者でなければ語れないことが鋭くも正鵠を得た言葉でストレートにとびこんでくる。

私は50に手が届くまで生きていて、日本の社会の暗部や差別的な考え方など一通り以上の興味を持って生きてきたと思い込んでいた。 部落差別は、もう終っていることにしなければ終らないと思っていた。私は差別者としての当事者、無自覚な差別者の1人だったと気づかされた。
無知が人を傷つける。私もその1人にはなりたくない。知らなければならないことはまだまだたくさんある。

もう一つの誤認。
私は今まで、政治は野党を育てることでしか変わらないと思っていた。野中さんのような政治家が与党に存在したとは。与党内の筋の通った勢力を支えることで日本の政治が変わっていく可能性があると認めざるを得ない。しかし、与党内に野中さんと志を同じくする人はどれだけいるのだろうか? ?

また、野中さんご自身が認めていらっしゃるように、彼は法案を通すために強い毒をもつ餌を抱き合わせていることが多い。彼が努力して推し進めた法案の数々は今後も功罪を検証して行かねばならないだろう。彼は共産党を嫌う理由を述べてはいないが、妥協を拒み、あるべき最高のものしか認めない所謂「何でも反対」の共産党の姿勢が、野中さんのように一歩でも進むために他で妥協してじりじり前進するやり方とは相容れないからではないだろうか。しかし、私たちのような素人に野中氏の法案の何が前進で、何が毒なのかを知らせるために必要な知識を提供する役割は必要。

骨太の2人の力強さと、人としての魅力と、強さゆえの寂しさを知って、静かな勇気が湧いてきた。
つれあいにも一読を薦めよう。

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