なぜ合唱を子供たちに勧めたのか。
競争、競争で人と比べることでしか存在の意味を確かめられない今の教育のあり方に疑問を持っていたから、人の声を聴いて、協調することで自己の、そして全体の成長を望む合唱は、オアシスのように感じた。
進学するための勉強をする場所になってしまっている学校では得られない、進学の役に立たない教養を身につけることのできる場と思ったから。
だから子供たちが合唱の魅力に盗り付かれた時、わたしは彼らの感性を歓迎し、大いに応援してきた。
しかし、しかし、しかし!
今のあの子達は周りの声を聴いているだろうか?人の心の訴えに気づいているだろうか?
仲間の声を大切にしているだろうか?
方針に合わないからと、当たり前のように恩師を切り捨てていく大人たちのやり方に傷ついているのは他ならぬ子供たちではないのか?
礼を尊ぶこと、感謝の念をあらわすことを教えられない子供たちは不幸だ。彼らは周りに同じようにするだろう。「崇高な」目的のためには切り捨ててもいいものがある、と大人たちが身を持って教えている。
こんな合唱団に子供の教育の一端を任せることはできない。
心を育てる音楽はどうなったの?
哀しい。
2009年4月5日日曜日
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