2009年4月7日火曜日

中学入学式

しーん。
きれいに整列して子供たちが入場してくる。私語を発する子等は1人もいない。1年生は緊張してぴーんと張り詰めた空気。2年、3年生も、驚くほど静かに入場し、着席する。さすが、中学校は小学校とは違うな、と感心する一方、子供たちの猫背、生気のない表情、暗い雰囲気が気になる。

静かな入学式のあと、始業式にも参列してよかったので、そのまま会場に残る。親たちの殆どは外へ出て、残っていた親は20人くらいか。

始業式、やはり子供たちは静かに入場し、静かに着席。突然先生の怒声。「頭を動かすな!」
「フラフラするな!」
にらみを利かして生徒たちの側を威嚇して歩く先生たちの厳しい顔、顔、顔。

なるほど、静かなのは、こういうわけだったのか。

気の小さい、新一年生の娘はさぞビビっているだろう。気の小さい私も、あの怒声には心臓がどきどきする。人の尊厳の敏感なところをぴりぴり刺激する怒鳴り声。自分が叱られているわけではないのに、胸が苦しくなる。私が中学生だった頃と学校のやり方は同じではないか。

このような「指導」でなければ、子供たちを静かにさせられないのだろうか。
そう質問すれば、おそらく「もちろんその通り、こうすることでしか今の子供たちを大人しくさせることはできません」と答えが返ってくるだろう。しかし、本当にそうなのだろうか?脅しに頼らず、子供たちの意識を高める方法は本当にないと断言できるのだろうか?世界の、あらゆる国で、このような方法による中等教育が行われているのだろうか?

脅しをかけて、怒鳴りつけて、押さえつけることは調教であって、教育ではない。
ただ、騒がしく収集が付かなくなるよりはマシなので、致し方なく「調教」せざるを得ないのだろう。先生方も、あんな声を出したくて出しているのではない、と信じたい。

しかし、先生方には、「調教」でいいのだ、とそこで思考をストップしてほしくない。大人しくきちんと人の話が聴ける子供たちもいて、その子等の心を傷つけていることから目を背けないでほしい。そして、調教でなく、教育の方法を追及することを忘れないでほしい。

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