2008年9月27日土曜日

「グロテスク」 桐野夏生

東電OL事件を題材にした小説。
怖いもの見たさで、いつか読みたいと思っていたが、なかなか勇気が出なかった。
米原万里さんの書評を読んで、手に取る気になったのだが。

最初の数ページで後悔した。これでもか、これでもか、と悪意に満ちた文章の止まるところのない表出に辟易しながらやめることができなかった。厚い上下巻なのに結局2日で読んでしまった。そこまで私をひき付けたのはもはや「事件」に対する興味ではなかった。小説の「悪意」の中に自分のある部分を見せ付けられたからだ。他人事の悪意ではない。自分の中にある差別意識、優越感、劣等感、それらに目覚めた思春期のころからこのかた私を苦しめ、反省もさせ、それでも払拭しきれていない業のような負の感情をクローズアップして見せてくれたからだ。

心の中にあるまがまがしいものを言語化して引きずり出す、作者の力に恐れを感じる。

お子さんを私学へ入れないの?と聞かれるたびに。心の中で「無用な優越感を持つ人間になってほしくないから、エリート私学へは行かせないの」と思っていたが、私の想像以上にQ女子高内の階級社会は凄まじいのかもしれない。

名古屋の名門私学T高校へ息子さんを入れている友人の言葉が現実味を帯びて思い出される。「私はT高校に息子を入れて、勉強面でも人としての成長と言う点でも、高校が良い教育をしているなんて、これっぽちも思ったことはないよ。頭のいい生徒ばかり集めて、学校以外に塾や家庭教師をつけている子がほとんどだから偏差値の高い大学に入って当たり前だし、あそこは親も、子も、異常なエリート意識に固まったおかしなのが多いから、いろんな面でゆがんだ学校。自殺も、いじめも、新聞に載らない様々な事件も多いんだよ。」と。彼女は同居する義母の強い勧めでT高校へ息子を入れたことを後悔していた。

差別することなく、差別されることもない、そんな社会はどこにもないかもしれない。しかし、私は子供たちに、自分の中の差別意識を常に見つめ、内省できる人間に育ってほしい。

「グロテスク」は、この競争社会に生まれる様々な差別に心を支配され、熾烈な戦いに挑み、そこから抜け出すために自爆した人達の墓標のような小説だ。これほどまでに後味の悪い小説はない。が、どろどろの中に何か確かなものを掴んだような気がする。それが何か、私の拙い作文では書ききれない。

作者に敬意を表する。

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